elm200に関するmekpsyのブックマーク (2)

  • Skype 相談の功罪 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    Skype 相談は、私のブログ読者・フォロワーを可視化する効果をもたらした。私に相談してくれた人たちは、みな優秀な人たちであった。多くは、私のブログや Twitter アカウントのファンで、私に対して好意を持ってくれていた。好意は大変ありがたい。深く感謝したい。だが、敢えて以下のことを言わねばならない。 私は一つの真理を悟った。時に、好意は悪意より厄介である、と。自分を嫌う人たちを無視するのは、比較的易しい。目をつぶって感情的なつながりを全部断ち切ってしまえばいいからだ。だが、好意を持たれた場合は、事情は複雑である。ある種の自分に対する期待が、好意の形を取ることがある。この場合、ついつい期待を実現せねばという義務感を感じてしまう。これがなんとも窮屈なのだが、自分が受けた好意に基づくものであるから、扱いに困るのである。 私は、私であり、私以外の何者でもない。他者が私に何を期待しようが、私は淡

    Skype 相談の功罪 - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
    mekpsy
    mekpsy 2012/06/02
    この人は応援したいんだけれど、自身の精神的バックグラウンドにあるだろう「オープン」「フリー」がいいって感覚が色々邪魔しそうでいまいち応援しきれない。結局お金を払ってコミットする路線に行くんじゃないか。
  • モノを所有する時代の終わり - 所有価値から使用価値へ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)

    近代経済学の枠組みでは、効用(人々の喜びの増加または苦しみの減少)をもたらすものを財と呼ぶ。財はモノとサービスに分けられる。近代経済学が誕生したときには、モノが絶対的に不足していたので、財はほぼモノを意味していた。その後、サービスに対する考察を追加したのであろう。 だが、今日、生産力の増強につれ、社会にモノがあふれて、財の重心がますますサービスに移りつつある。よくよく考えてみるとモノとサービスは信じられているほど対立的なものではないのだ。その部分を今日はじっくり解説したい。 人々は財から効用を引き出すことができる。財のこういう機能を価値と呼ぶ。財の価値は人によって違う。たとえば、イチゴが嫌いなひとにとってイチゴの価値は低い。だがイチゴが好きなひとにとって同じイチゴは高い価値をもつだろう。 モノ・サービスという二分法とは別に、財を次のような2種類に分けることもできる。 人々の消費に供される消

    モノを所有する時代の終わり - 所有価値から使用価値へ - elm200 の日記(旧はてなダイアリー)
    mekpsy
    mekpsy 2012/03/21
    遺伝情報は情報だけどユニークか。それは細胞膜に閉じ込められているからだよ。多様性やユニークさのためには、デジタル情報もまた物体に閉じ込められる方がいいということじゃ?
  • 1