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当事者に関するmetamorphのブックマーク (2)

  • Freezing Point - 否認の連帯

    人が、自分で自分のリアリティを扱えなくなっている*1。 社会契約という観点から言えば、交渉主体としては対等だから、「当事者なんぞ知るか」というのは当然。このレベルでは、語り手の属性は何でもいい。わざわざ特別に考える必要があるのは、社会的に規定された語りのポジションの非対称性(参照)。 自分で自分のリアリティを扱うのは、精神分析の面接技法を社会的場面に持ち出したようなもの。左翼活動家は、(社会正義という)意識レベルのアリバイをクライアントの口実として共有してしまうから駄目。否認的アリバイの共有をしているだけ。社会参加の継続と、逃避の継続が同じ形をしている。 「自分は○○問題に取り組んでいるから、それで社会正義の口実がある。だから自分の内的葛藤や社会的責任については、もう分析的に考えなくていいんだ」――これは最悪の逃避。自分の差別性や暴力には無頓着であり得る。▼そうしたものは、分析的な当事者

    Freezing Point - 否認の連帯
  • Freezing Point自分の当事者性を捨象する男性フェミニスト

    貴戸理恵は、「コドモであり続けるためのスキル」というのだが、実は貴戸自身は、「こども」としての制度順応に失敗し、「おんな」としての制度順応で社会参加に成功している。つまり、小学校時代に不登校で、思春期以後はずっと社会参加。 「変なコドモ」として存在するのは、とてもみじめで辛いことだった。 ところが、だんだん成長して周りから「女」と認識されるようになるにつれ、そういう「コドモパニック」みたいなものは影をひそめ、私はゆっくりと生きやすくなっていった。「奇妙なコドモ」は許されないが、「奇妙な女」ならそれなりに存在する余地がこの世にはあるのだ。弱さ、暗さ、できなさ、うわの空であること、自信がないこと……それは決して美点ではないが、「女」であれば、「コドモ」がそうであるよりもまだ、「ま、アリなんじゃない」とされ、特に排斥されるポイントではなくなる。 (『コドモであり続けるためのスキル (よりみちパン

    Freezing Point自分の当事者性を捨象する男性フェミニスト
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