自分の人生と、他人の人生を比べた時、もしかすると、他人の方が楽だとか、恵まれていると感じることは誰にでもあるだろうし、自分が他の環境や境遇に生まれたならば、もっと幸せだったと思うこともあるかもしれない。 他人の芝生はとってもキレイに見えるかもしれない。 そして確かに、人生は平等ではないと思うことの方が多いかもしれない。 けれども、あなたの人生をうらやむ人もいるかもしれない。 誰でも、ひとつの側面しか見ていないし、もしかすると、自分があこがれる人は、自分よりも格段努力をしたり、不得意な分野についても必死に勉強をして、涼しい顔だけを表に見せているのかもしれない。 多分、他人について沢山のことを知れば、逆に自分が自分である理由が分るのではないかと思う。 かなりの人が他人にあこがれはするけれど、それでもやっぱり突き詰めてゆくと、「自分」が出来あがってきて、そして、自分が他の誰よりも一番好きに違いな
“作り笑顔”というのは厄介だ。これは癖になっていることに気付かない。 もしくは、気付いていても、心が伴わないものは、やはりどこかウソになる。 自分が他の人について難なく気付くように、自分の作り笑顔も当然相手は気付いている。けれど、お互い、その、どこか作りモノの世界が当たり前で、作り笑顔と社交辞令で、ビジネスライクな当たり前が普通になる。 気分が悪くても、腹が立っていても、反射的に作り笑顔でお礼を言ったり、習慣とは幾分便利とも思われるけれど、それは、茶道教室で立居振舞や作法を身につけることとはまた違う。 ・・・でもそれは、社会での処世術・トラブル回避・余計なストレス回避の術だということも理解するし、ある程度はロボットのような言動を強いられる部分もあるだろう。 けれどやはり、ホントのところ、変ではある。 それに、潜在的にどこか納得していないものがあると、いずれ表面化するかもしれない。 先日、「
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