タグ

船舶に関するmforce4のブックマーク (983)

  • ウィチタ (重巡洋艦) - Wikipedia

    ウィチタは当初、ニューオーリンズ級重巡洋艦の8番艦として計画されていたが、間もなくブルックリン級軽巡洋艦に準じた艦型とニューオーリンズ級重巡洋艦の兵装を組み合わせた形で建造されることとなった[1]。その設計は基的には戦前の巡洋艦との接続となるものであり、またブルックリン級と設計において相似点が非常に多くあったものの、ウィチタは新型の8インチ砲塔を装備し、対空用のMk 12 5インチ砲を8門装備、そのうち4門は砲塔内に、4門は露天で装備された。砲塔内に装備された4門のうち2門は、対空射撃に都合の良い前後の主砲塔直後に装備されたが、このような航空戦に配慮した兵装配置は、世界の重巡洋艦史上初めてのことであった[4]。もう2つは艦橋の両脇に装備された。また露天の5インチ砲は艦中央部両舷に2門ずつ装備された。 機関では新型の高温高圧缶が用いられた[2]。 航空機の格納庫とカタパルトは艦尾に装備され

    ウィチタ (重巡洋艦) - Wikipedia
  • ニューオーリンズ級重巡洋艦 - Wikipedia

    水線部:3 - 5 インチ (76 - 127 mm甲板部:1.25 - 2.25 インチ (32 - 57 mm)砲塔部:1.5 - 8 インチ (38 - 203 mm)バーベット:5 インチ (127mm)司令塔:5 インチ (127mm) ニューオーリンズ級重巡洋艦(ニューオーリンズきゅう じゅうじゅんようかん、New Orleans class Heavy Cruisers)は、アメリカ海軍の巡洋艦の艦級。起工はアストリアが最も早く、アストリア級重巡洋艦(Astoria class)という呼称も用いられた。 概要[編集] ポートランド級に続く条約型重巡洋艦で、ロンドン軍縮条約の締結後に建造を始めた重巡洋艦の第二弾。広義の意味で条約型重巡洋艦と見れば第四弾にあたる。1929年度計画で3隻、1930年に2隻、1933年に2隻の計7隻が計画され、1930年から1937年にかけて進水、竣

    ニューオーリンズ級重巡洋艦 - Wikipedia
  • ノーザンプトン級重巡洋艦 - Wikipedia

    舷側:76mm(水線面主装甲) 甲板:38mm(主装甲) 主砲塔:64mm(前盾)、38mm(側盾)、19mm(天蓋) バーベット:38mm 弾薬庫:95mm(舷側)、51mm(上面) 司令塔:32mm(側盾) ノーザンプトン級重巡洋艦(ノーザンプトンきゅう じゅうじゅんようかん、Northampton class Heavy Cruisers)は、アメリカ海軍の重巡洋艦の艦級。条約型重巡洋艦の第2グループで1927年度計画により6隻の建造が認められ、前級の不具合を改善する事を目的に改設計が行われた。 概要[編集] 級はペンサコーラ級の重量増と予算超過に対応する形で設計された艦である。前級で10門あった主砲は1門減らされる代わりに全ての主砲塔を8インチ三連装砲塔に統一し、これを3基9門として火力の低下を抑えつつ軽量化された。一方で、防御面において装甲範囲と装甲厚が強化された。前級よりも装

    ノーザンプトン級重巡洋艦 - Wikipedia
  • ペンサコーラ級重巡洋艦 - Wikipedia

    舷側:64mm(水線面主装甲) 甲板:25mm(主装甲) 主砲塔:64mm(前盾)、38mm(側盾)、19mm(天蓋) バーベット:19mm 弾薬庫:102mm(舷側)、38mm(上面) 司令塔:32mm(側盾) ペンサコーラ級重巡洋艦(ペンサコーラきゅう じゅうじゅんようかん、Pensacola class Heavy Cruisers)は、アメリカ海軍が最初に建造した重巡洋艦の艦級である。ワシントン軍縮条約の制限下で1925年度海軍計画において当初は軽巡洋艦として設計・建造された[1]。ロンドン軍縮条約の締結後、艦種の類別を変更されてアメリカ海軍初の条約型重巡洋艦となった。2隻とも戦後になってビキニ環礁で行われた原爆実験の標的艦にされた。 概要[編集] 当初、ペンサコーラ級はワシントン条約下、軽巡洋艦(それぞれCL-24、CL-25)として条約制限であった基準排水量10,000トン以内

    ペンサコーラ級重巡洋艦 - Wikipedia
  • ウースター級軽巡洋艦 - Wikipedia

    ウースター級軽巡洋艦 (ウースターきゅうけいじゅんようかん Worcester class light cruiser) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦の艦級。 第二次世界大戦中に4隻[3]が計画されたが、ウースター、ロアノークのみが戦後に完成し、残りはキャンセルされた。主武装は15.2cm47口径両用砲・連装6基。 概要[編集] 第二次世界大戦では防空巡洋艦という艦種が著しく発展したが、更に高々度飛行可能な陸上重爆撃機や対艦ミサイルの迎撃を企図した大型・長射程の対空砲の必要性が認識された。合衆国海軍では巡洋艦用の自動装填装置を備えた速射砲として、デモイン級重巡洋艦に搭載された55口径8インチ対艦砲Mk16と同時期に47口径6インチ両用砲Mk16の開発が行われ、艦船局はこの新型高角砲の搭載を中心として新型防空巡洋艦を開発した。これがCL-144ウースター級軽巡洋艦である。 級はアトランタ級防

    ウースター級軽巡洋艦 - Wikipedia
  • ファーゴ級軽巡洋艦 - Wikipedia

    ファーゴ級軽巡洋艦(ファーゴきゅうけいじゅんようかん Fargo class light cruiser)は、アメリカ海軍の軽巡洋艦の艦級。クリーブランド級軽巡洋艦の改良型であり、砲塔及び銃座の低重心化、艦橋の縮小、ボイラーの配置改善及び煙突の集合化などが行われている。13隻が計画されたが、第二次世界大戦中に就役は間に合わず、戦後に2隻のみが就役した。 同型艦[編集] ファーゴ (USS Fargo, CL-106) ハンティントン (USS Huntington, CL-107) ニューアーク (USS Newark, CL-108)(未成艦) ニュー・ヘヴン (USS New Heaven, CL-109)(未成艦) バッファロー (USS Buffalo, CL-110)(未成艦) ウィルミントン (USS Wilmington, CL-111)(未成艦) ヴァレーオ (USS Va

    ファーゴ級軽巡洋艦 - Wikipedia
  • クリーブランド級軽巡洋艦 - Wikipedia

    クリーブランド級軽巡洋艦(クリーブランドきゅう けいじゅんようかん、英語: Cleveland-class light cruiser) は、アメリカ海軍の軽巡洋艦の艦級。改良型の「ファーゴ (CL-106) 」以降を含む資料も存在する。 来歴[編集] 1937年1月1日のロンドン海軍軍縮条約失効に伴い、列強各国に課せられていた巡洋艦の保有制限は解除された。同時にワシントン海軍軍縮条約も失効したことから、各国は一斉に海軍軍備の拡張に乗り出しており、1938年5月には、アメリカでも第2次ヴィンソン海軍法(英語版)と通称される一大海軍拡張計画が議会を通過した。同計画には10,000トン型軽巡洋艦が盛り込まれていたが、これによって建造されたのが級である[2]。 設計[編集] 当初は基準排水量8,000トン、6インチ両用砲 連装5基搭載というアトランタ級の拡大型として計画されたものの、搭載砲の開

    クリーブランド級軽巡洋艦 - Wikipedia
  • アトランタ級軽巡洋艦 - Wikipedia

    アトランタ級軽巡洋艦(アトランタきゅう けいじゅんようかん、英語: Atlanta-class Light Cruisers)は、アメリカ海軍の軽巡洋艦の艦級。オマハ級巡洋艦を代替する駆逐戦隊旗艦巡洋艦として戦前の計画で8隻が、さらに戦時損耗補充分として3隻が追加され、合計11隻が建造された。一般に防空巡洋艦として知られるが、防空巡洋艦を表す類別記号CLAAが与えられたのは就役後かなり経ってからのことである。 概要[編集] 1930年代、急速に発達した航空機の脅威から艦船を守るために各国海軍で対空砲を搭載した防空艦が計画された。最初にイギリス海軍が旧式化したC級軽巡洋艦に改装を施し、4インチ(10.2cm)高射砲を多数搭載した強力な防空艦を完成させ、各国海軍の注目の的となった。 アメリカ海軍は新造の軽巡洋艦に高い防空力を持たせることを計画した。それまでアメリカ海軍は、51口径5インチ(12

    アトランタ級軽巡洋艦 - Wikipedia
  • アメリカ海軍巡洋艦一覧 - Wikipedia

    航空母艦一覧(C) 水上機母艦一覧(C) 飛行船一覧(C) 揚陸艦一覧(C) 補助艦艇一覧(C) 戦艦一覧(C) 巡洋艦一覧(C) 駆逐艦一覧(C) 護衛駆逐艦一覧(C) 護衛空母一覧(C) フリゲート一覧(C) 機雷戦艦艇一覧(C) モニター一覧(C) 哨戒艇一覧(C) 帆走フリゲート一覧(C) 蒸気フリゲート一覧(C) 蒸気砲艦一覧(C) 戦列艦一覧(C) スループ一覧(C) 潜水艦一覧(C) 魚雷艇一覧(C) アメリカ海軍巡洋艦一覧(アメリカかいぐんじゅんようかんいちらん)では、アメリカ海軍の巡洋艦の一覧を述べる。装甲巡洋艦、巡洋戦艦、防護巡洋艦、大型巡洋艦の各艦種を含む。 防護巡洋艦(C)と装甲巡洋艦(ACR)の類別は1920年に変更され、装甲巡洋艦全10隻(ACR-2~13(ACR-6とACR-10は喪失)→CA-2~13)と防護巡洋艦の大型のもの6隻(CA-14~19)が重巡洋

    アメリカ海軍巡洋艦一覧 - Wikipedia
  • サイドスラスター - Wikipedia

    この項目では、船舶に使用されるものについて説明しています。宇宙機に使用されるものについては「スラスター」をご覧ください。 この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "サイドスラスター" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年1月) サイドスラスター(英: side thruster)は、船を横方向に動かすための動力装置である。接岸や離岸の際に使用することで、時間や手間を省き、安全を確保することを目的に、比較的大きな船に装備されることが多い。船首付近に設置したものをバウスラスター(bow thruster)、船尾付近に設置したものをスターンスラスター(stern t

    サイドスラスター - Wikipedia
  • アジマススラスター - Wikipedia

    アジマススラスターのポッドとプロペラ Zドライブを用いたアジマススラスター アジマススラスター (英: azimuth thruster) は船舶の推進装置の一種で、水平方向に360度回転するポッドにプロペラを装備したもの(アジマスとは方位角の意味)。 固定軸プロペラと舵とによる推進と異なり、船を任意の方向に移動させたり、現在位置を正確に維持したりすることができる。そのため、タグボート、掘削船、海底ケーブル敷設船、掃海艇などの作業船に多く採用されるほか、ジョイスティック操作のものがプレジャーボートでシェアを伸ばしている。従来は小回りを必要とする小型の船舶に使用されていたが、近年ではクルーズ客船等にも使用が広がりつつある。 プロペラを駆動する原動機の配置により、大きく二通りに分類される。 船内の原動機に直結した動力軸を用いて、動力を機械的に伝達する方式(Zドライブ:推進軸がZ字型に近い配置と

    アジマススラスター - Wikipedia
  • シュナイダープロペラ - Wikipedia

    シュナイダーとは、このしくみを発明したオーストリアの技術者エルンスト・シュナイダー(Ernst Schneider 1894-1975)を指す。シュナイダーが同機構を開発後、ドイツの機械メーカーフォイト社(Voith AG)によって船舶用推進器として改良─実用化され、1920年代に基特許を得た。ゆえにフォイト・シュナイダープロペラ(VSP: Voith Schneider® Propeller)とも呼ばれる。また、このタイプのプロペラは航空分野での適用も模索されており、そこではサイクロイダル・プロペラ、サイクロローターなどと呼ばれている[1]。 実用化については1928年からボーデン湖で小型船による試作・研究が行われ、1931年に建造されたドイツ帝国鉄道のボーデン湖遊覧船・ケンプテン(223t)が初めての実用搭載例となった。1935年にはドイツ海軍の700t級掃海艇2隻に試験的に採用され

    シュナイダープロペラ - Wikipedia
  • タグボート - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "タグボート" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2022年7月) タグボートの図解 海外のタグボート一例 小型のタグボート(手前) 2000トン級のオーシャンタグ・日サルベージの「航洋丸」 タグボート(英: tugboat)は、船舶や水上構造物を押したり引いたりするための船。引船、曳船(ひきぶね・ひきふね、曳船はえいせんとも)、あるいは押船(おしぶね)と言う。青函連絡船では補助汽船と呼ばれた。 概要[編集] サイズは様々あり、港湾で船舶が岸壁・桟橋に着岸・離岸するのを補助したり、河川や運河で艀(はしけ)などを動かしたりするた

    タグボート - Wikipedia
  • フェリー - Wikipedia

    オウルとフィンランドのハイルオト島間のカーフェリー接続 フェリーのうち自動車も運ぶものを「カーフェリー」や「ROPAX」と呼ぶ。 なお、アメリカ英語やカナダ英語ではen:car ferryと言うと、トレイン・フェリー(鉄道車両を運ぶフェリー)を意味する(北米ではこの単語の組み合わせでは習慣的にcarが鉄道車両を表す)。一方、イギリス英語ではen:Roll-on/roll-off(ROPAX)を意味し、英語圏内でもまぎらわしいため、最初からROPAXと呼ぶことで混同を避ける用法も行われている。 なお日の雑学シリーズテレビでは、 英語の「car」は狭義には乗用車の意味で、トラックやトレーラーは含まれないので多様な車両すべてを運ぶ船を近年では ROPAX(roll on/roll off passenger)vessel や Ro-Pax Ferry と呼ぶ場合がある、 日で「ローパック

    フェリー - Wikipedia
  • コンテナ船 - Wikipedia

    このページは「コンテナリゼーション」との間で記事内容の一部転記が提案されています。 議論は「このページのノート」を参照してください。(2024年7月) この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "コンテナ船" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2013年11月) コンテナを満載し海を行くコンテナ船。原材料から精密部品、料や雑貨など、日常生活に必要な物資のほとんどがコンテナ船で輸出入されている 埠頭に設けられたガントリー・クレーンで貨物コンテナの積み下ろしをするコンテナ船 コンテナ船(コンテナせん, Container ship)とは、ISO 668により規格化された海

    コンテナ船 - Wikipedia
  • 航空母艦「信濃」

  • 時津風 (陽炎型駆逐艦) - Wikipedia

    時津風(ときつかぜ)は、大日帝国海軍の駆逐艦[1]。陽炎型駆逐艦の10番艦である[2]。 この名を持つ帝国海軍の艦船としては3隻目{書類上は2隻目}(初代は磯風型駆逐艦の時津風)。 艦歴[編集] 浦賀船渠で建造され、1939年(昭和14年)2月20日起工。同年8月25日、姉妹艦の天津風と共に「時津風(トキツカゼ)」と命名される[1]。11月10日に進水、1940年(昭和15年)9月1日附で駆逐艦天霧駆逐艦長中原義一郎中佐は、時津風艤装員長に任命される[3]。なお中原は、白露型駆逐艦4番艦夕立艤装員長[4]および初代駆逐艦長[5]だった。 時津風は12月15日に竣工[6]。同日附で中原艤装員長も制式に時津風初代駆逐艦長となる[7]。呉鎮守府籍。浦賀船渠で建造された陽炎型としては3隻目。 舞鶴海軍工廠:(1)陽炎、(4)親潮、(9)天津風、(15)野分、(16)嵐 浦賀船渠:(2)不知火、(

    時津風 (陽炎型駆逐艦) - Wikipedia
    mforce4
    mforce4 2013/01/30
    ときつかぜ,陽炎(かげろう)型-10番艦
  • 時津風 (磯風型駆逐艦) - Wikipedia

    その他に1917年(大正6年)6月20日の電報には回転数733.03、30,280馬力、速力29.742ノットとある[51] 艦長[編集] ※艦長等は『官報』に基づく。 艤装員長 河野捨熊 少佐:1916年9月12日 - 1917年1月20日 (兼)河野捨熊 少佐:1917年1月20日 - 駆逐艦長 河野捨熊 少佐:1917年1月20日 - 12月1日[52] 和波豊一 少佐:1917年12月1日 - 1918年8月20日 (心得)神谷京 少佐:1919年5月20日[53] - 1919年12月1日[54] (心得)村上正之助 少佐:1919年12月2日[55] - 1920年11月15日[56] (心得)山松四 少佐:1920年11月15日[56] - 1920年12月15日[57] (兼・心得)田尻敏郎 少佐:1920年12月15日 - 1921年1月7日 (心得)大久保義雄 少佐:

    時津風 (磯風型駆逐艦) - Wikipedia
    mforce4
    mforce4 2013/01/30
    ときつかぜ,磯風(いそかぜ)型-4番艦
  • ポートランド級重巡洋艦 - Wikipedia

    ポートランド級重巡洋艦(ポートランドきゅう じゅうじゅんようかん、Portland-class Heavy Cruisers)は、アメリカ海軍の重巡洋艦の艦級。 ワシントン軍縮条約の元で1930年に軽巡洋艦(CL-33)として起工された。しかし、ロンドン軍縮条約が締結され、艦種の類別を変更されたため、条約型重巡洋艦として進水した。 アメリカ海軍が建造した初めての1万トン越え重巡洋艦となった。 概要[編集] ノーザンプトン級重巡洋艦(9,000 トン)より大型化され、排水量は10,000トンを超えており、全長が伸びて艦橋が大型化された。兵装は同等であり、55口径8インチ3連装砲3基と25口径5インチ単装砲8基を装備。ノーザンプトン級で竣工後に撤去された魚雷発射管は、建造時から装備していない。外観は非常にバランスのとれた艦になっているが、トップヘビーによって復元性は悪化した。 「ポートランド」

    ポートランド級重巡洋艦 - Wikipedia
  • インディアナポリス (重巡洋艦) - Wikipedia

    南太平洋での「インディアナポリス」の最初の活動は、第11任務部隊の1隻として日の支配海域であるニューブリテン島、ラバウルの南約560キロへの進出であった。1942年2月20日、第11任務部隊はブーゲンビル島近海で日軍の九七式飛行艇に発見されたのに続き、一式陸攻17機による空襲を受けたが、対空砲火と「レキシントン」の戦闘機により15機を撃墜し、損害を受けた艦はなかった(ニューギニア沖海戦)。しかし、回避運動により燃料を大幅に消費したため、ラバウル空襲は断念せざるを得なかった[5]。 凹甲板のクローズアップ(メア・アイランド海軍造船所 1942年4月19日) 3月10日、第11任務部隊は空母「ヨークタウン (USS Yorktown, CV-5) 」を基幹とする第17任務部隊(英語版)(フランク・J・フレッチャー中将)と合同で日軍が上陸したニューギニア島のラエ、サラモアを攻撃した。南から

    インディアナポリス (重巡洋艦) - Wikipedia