「太田道灌状」は太田道灌が文明12年11月に、山内上杉氏の家人、高瀬民部少輔に宛てた書状であるとされているが、高瀬民部少輔は本当に山内上杉氏の家臣なのか。高瀬民部少輔について書かれた資料を探している。 高瀬民部少輔の名がみられる資料は、いずれも太田道灌が書状を送った相手として記述されている資料で、山内上杉氏の家人という通説以外に記述は見あたらなかった。また、高瀬民部少輔について詳しく書かれた資料は見あたらなかった。 『埼玉叢書 4 新訂増補』(国書刊行会 1971) p3「太田道灌状」の解題によると、「太田道灌が文明12年11月に山内上杉氏の家人高瀬民部少輔に宛てた書状で」とあり。p324「太田道灌状」の最後の部分に、「謹上 高瀬民部少輔(別本『式部丞』)殿(原注『山内家人』)」とあり。 『太田氏の研究 関東武士研究叢書 3』(名著出版 1975) p293「高瀬は山内上杉の相当の家人であ
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