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江戸に関するmisizuのブックマーク (3)

  • http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1996Koishikawa300/

  • 国立国会図書館 : 電子展示会 「描かれた動物・植物 江戸時代の博物誌」

    展示にあたって「博物誌」に明確な定義はありませんが、ここでは動植鉱物そのものの記述はもちろん、衣住や医薬・文学・趣味などの面からの叙述も含めて、広く「博物誌」と呼ぶことにします。 博物誌は、先祖がどのような動植物を衣住や医療に用いていたのか、四季の景物として和歌や俳句に詠んできたのか、園芸品や飼い鳥として愛好してきたのか等々、人と自然との関わりを記録した文化史であり、生活史です。それはとりもなおさず、日文化の歩みを現代の私たちに伝えてくれる文化遺産にほかなりません。一方で、博物誌はかつての自然がどれほど豊かだったかを雄弁に物語っており、これは私たちが現在・未来の自然環境について考える際の、貴重な環境資料にもなることでしょう。 この電子展示会では、とくに江戸時代の博物誌をご紹介します。江戸時代の日では、博物誌やその周辺の書物が数多く著されました。その後、大火や戦災による損失はあったも

  • 本草図譜

    では、明治時代まで、薬草を含め薬になる天然自然の産物を研究する学問を「草学」といった。草学の研究は広範囲であった。病気の見立て、薬の調合から実際に野外で薬草を探す採薬まで、薬にかかわる様々な研究が含まれていた。 日において、江戸時代初期の草学は明の李時珍の『草綱目』を中心とした文献学・解釈学であった。日の薬用植物を中国草書に記載された薬草に当てようとしたのである。日中の植物相には大きな相違があるとは考えなかった。 上野益三(1986年、京都大学名誉教授・動物学)の説によると、宝永五年(1708 年)に完成した貝原益軒の『大和草』をもって、日でも自らが植物を観察研究する時代に入った。益軒以後、多くの草学者が、山中を巡りあるき薬効のある植物を発見することや今日の民俗植物学的資料の収集に努めた。 岩崎灌園の『草図譜』は日で最初の植物図鑑ということができる。植物を主体

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