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神話と民俗学に関するmisui-shiのブックマーク (2)

  • 祓戸大神 - Wikipedia

    祓戸大神(京都市・地主神社) 祓戸大神(はらえどのおおかみ)とは、神道において祓を司どる神である。祓戸(祓所、祓殿)とは祓を行う場所のことで、そこに祀られる神という意味である。 神職が祭祀に先立って唱える祝詞である「祓詞」では「伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に 禊祓給ひし時に生り坐せる 祓戸大神等」と言っており、祓戸大神とは、日神話の神産みの段で黄泉から帰還した伊邪那岐命が禊をしたときに化成した神々の総称ということになる。 なお、この時に大禍津日神・八十禍津日神(災厄を司る神々)、神直毘神・大直毘神・伊豆能売(禍津日の災厄を直す神々)、上津綿津見神・中津綿津見神・底津綿津見神(海の神々)、住吉三神、三貴子(天照大御神・月読命・須佐之男命)も誕生しているが、これらは祓戸大神には含めない。「祓詞」ではこの祓戸大神に対し「諸諸の禍事罪穢有らむをば祓へ給ひ清め給へ」と祈っている。

    祓戸大神 - Wikipedia
  • 夜刀神 - Wikipedia

    『常陸風土記』の行方郡段に見え、行方郡の郡家の周辺の原野に群棲する蛇体で頭に角を生やした神で、その姿を見た者は一族もろとも滅んでしまうと伝えられていた。継体天皇の時代に箭括氏(やはずのうじ)の麻多智(またち)が郡家の西の谷の葦原を新田として開墾するに際し、妨害する夜刀神を打殺したりして山へ駆逐し、人の地(田)と神の地(山)を明確に区分するためにその境界である堀に「標の梲(しるしのつえ)」を立て、以後祟りのないように社を創建して神として崇めることを誓い、自ら神の祝として仕えるようになったといい、麻多智の子孫(箭括氏)によって『風土記』編纂の時代まで代々祀ってきたという。 また、孝徳天皇の時代に行方郡を建郡した壬生連(みぶのむらじ)麿(まろ)が、夜刀神の棲む谷の池に堤を築こうとすると、池の辺の椎の樹上に夜刀神が集まり、いつまで経ってもそこを去らなかったという事件が起こったが、麿が大声で「民政の

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