最初の仕事は、富士通総研から さて、開業第1号の仕事は、富士通総研という富士通のシンクタンクから受注しました。「米国のインターネットビジネスをプロファイリングせよ」という仕事です。富士通総研がネット上でこの仕事がこなせる会社を募集しているのを見て、当社が応募した結果みごと勝ち取ったのです。しかし、金額としては、ひとつプロファイルすると1万5000円というかわいらしい仕事でした。これをのべ300件くらいやったでしょうか。皆でひたすら、米国のWebビジネスを見まくりました。この仕事が後に「インターネットビジネスおたく」になれたきっかけでした。そして、そのエッセンスをのちに「週刊ネットエイジ」というメールマガジンにして、毎週発行しはじめました。すると、その当時まだそのような情報源がなかったことも幸いし、口コミでどんどん読者を広げ、3000名ほどに読まれるまでになりました。 飛躍をつかんだ、週刊ネ
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