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吉本隆明に関するmochanのブックマーク (3)

  • 仕事始め - 内田樹の研究室

    朝から母の家の居間で原稿書き。 最初に『ブルータス』の「吉隆明特集」へのアンケート回答。 「最初に読んだ吉隆明のは何ですか?」というようなアンケートである。 私が最初に読んだのは『自立の思想的拠点』で、1967 年、高校二年生のときのことである。 その頃、私のまわりには吉隆明を読んでいる人はまだそれほど多くなかった。 70 年に大学に入った時点でも、決して多くはなかった。 私は全共闘の諸君は全員吉隆明の愛読者だと思っていたので、「誰、それ?」というリアクションに仰天した覚えがある。 大学に入って最初に「吉っていいよね」という私の言葉にそっと頷いてくれた相手は意外にも民青の活動家だったウエムラくんであった。もちろんそのようなカミングアウトは彼の党派的立場からはありえないことだったのだけれど。 時代が経つと、「1968 年には日中の大学生たちはみな吉隆明を熱狂的に読んでいた」と

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  • 巖浩の業績と足跡を辿って、著者の生き様を重ねる | フーコの日日雑記

    井出 彰 著『伝説の編集者・巖浩を訪ねて――「日読書新聞」と「伝統と現代」』 (「図書新聞」09.2.14号) わたし(たち)にとって、「日読書新聞」は、ひとつの指針であった。67年10月8日の新左翼諸派による佐藤首相訪ベトナム阻止闘争を、商業紙、一般メディアがこぞって学生たちによる暴力行動、過激行動だと断じていたのと違って、明らかな共感を表明していたことに、当時、高校三年生だったわたしは、衝撃的な思いをもって読んでいたからだった。高校卒業以後、「読書新聞」と「映画芸術」(編集長・小川徹)、そして漫画月刊誌「ガロ」や「試行」は、わたしにとって欠かさず購読する紙誌となっていった。 六八年に創刊された「伝統と現代」誌を購読するようになったのが、いつ頃からだったかは、覚えていない。たぶん第一期(学燈社・発行)の後半あたりからかもしれない。このふたつの紙誌に関わっていた巖浩という名をわたしが知

    巖浩の業績と足跡を辿って、著者の生き様を重ねる | フーコの日日雑記
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