冬の時代と言われて久しいが、人々に真面目に努力しようという気概は感じられないのはどういうわけか。゛ 働かず引きこもってる人や仕事はそこそこに享楽的な生き方をしている人。彼らに成長しようという明確な意志はあるのだろうか?いや、ないだろう。 具体的な有効策を見いだし継続的に実行しているものは、ごくわずかである。 中には愚直な努力家がいるにはいるが、そういう愚直な努力家が泣きを見るのもまた冬の時代である。 「泥のように働いて」愚直な努力をするのではなく、より効果的な努力の投入の仕方を模索すべきだ。必要なのは「スマートな努力」。 だが、そういった考えは一般人の口からついぞ聞かれたことが無い。 「努力は程ほどにして人生を楽しむんだ」と言っていた友人は今、程ほどしか努力しなかったせいで研究者の道を断念せざるを得なくなり、 一流大学卒でありながら平凡な民間企業で高卒の人たちと同じ仕事をする毎日である。こ
勉強って、ほとんど頭使わないよね。 人様に言われたことを、やればいいんだから。 あんなに頭使わなくていいのに、親は小遣いくれるたし、会社も給料くれた。 親たちはそういう甘い経験をしてきたものだから、つい子供にも「勉強しろ」って言ってしまう。頭を使ったことがなかったんだね、親たちも。 勉強の意味を狭く捉え過ぎていると思うな。「勉強ができる」ということは「努力し続ける力がある」ということですよ。学生のときの勉強だけが勉強じゃない。 学生のころ勉強ができて、高学歴な人が、社会人になってぱっとしないということはあるかもしれない。その原因は明らかですよ。社会人になって勉強しなくなったから、だめになってしまったのです。 学生のときに必要な勉強と、社会人になってから必要な勉強は違う。それぞれの環境やステージによって必要とされる勉強は違うのです。 学生のころ勉強できたとしても、社会人になって勉強することを
先日投稿した正規表現の記事は、多くの人が見てくれて、はてなブックマークコメントなどで感想もいただきました。 反響をいただいたことで私自身いろいろ考えることがあり、パソコンインストラクター時代の経験と考え方をベースに、はじめての人に何かを教える心がけるといいなと思うことをまとめてみました。 対象者ははじめての正規表現を読んだ方です。もったいないけど、その方がよく伝わると思って割り切ります。 極論に走ってはいますが、今後はじめての人に何かを教える時には、ここに書いた内容を読み返したいと思います。 捨てる はじめての人に何かを教える時は、以下のことを捨てる必要があります。 正確な表現 例外 説明事項 正確な表現 知識があればあるほど正確な表現で伝えることにこだわってしまいがちです。 でもそこはぐっとガマン。 例えば、はじめての正規表現の中でメタキャラクタ、パーレンなどの正式名称を使って説明したら
学習することは「楽しい」というイメージがある。しかし、組織文化研究で有名なエドガー・シャインによれば、「学習することは、そもそも苦痛である」という。 何か新しいことを学習するとき、「これまでのやり方を捨て去る恐れ」「習得することができるかどうかという不安」を感じる。シャインはこれを「学習不安」と呼んでいる。人が学ばないのは、学習不安が大きいからだ。 では、何が人を学習に駆り立てるのか?それは「生存不安」である。生きていくためには、変わらなければならないとき、人は学習する。受験生は、将来、高い地位について多くの報酬を得る可能性を得るために勉強して良い大学に入ろうとする。社員は、リストラされないように、頑張ってスキルを身につける。 学習を促進するためには、「学習不安を低減させる」ような環境を作り出すアプローチと、「生存不安を増大させる」かというアプローチの二つがあるという。前者は「やればできる
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