なんかねー、ブログ消した。 理由はほんとにくだらないことで、ネット上の話ですらない。なんかもう、ほんとうにどうしようもないこと。 ネット疲れとかじゃぜんぜんないすよ。 これ以上どうしようもないことがあるんだろうかってくらいに。 つーか増田ってこれ妙に幅が広いな。改行自分で入れてやらなきゃだめか。 なんつーかまあ、過去の自分がすべて呪わしくなるようなことやっちまった。 ま、そんなおおごとだと思ってるのは俺だけで、実は世の中にあふれてる些細なことだとは思うんだけど。 ああ、身バレとかじゃないすよ。 で、過去の自分っていうと、まあ現に生活して生きてる自分は消せないじゃん。 それができる年齢ってとうに通過してるからさ。 でまあ、消せる自分からとりあえず消していこうかなーと思ったときに、 いっちょ軽くネット自殺でもやってみますか、と。そう思ったのね。 まあ、ここに至るまでの心理の流れは、ほとんど自暴
人間が子猫を殺してはいけない究極的な理由というのは存在しない。 これは残念ながら、どうしようもないことだ。 たとえば「死に舞」さんは坂東の文章について、「ペットという人間と動物の関係において道徳は無力であり、その不可能性を書いたもの」という解釈の上で、「たしかにそれは一つにはあり得る話で、そういった立場もあっても良いかもしれない」と(恐らく渋々ながら)認めている。 また、「未映子の純粋悲性批判」でも「殺してはいけないという絶対的な理由なんかはこの世界のどこにもなく」「あらゆる倫理に強制力はない」と、そのものズバリ結論を明かしてしまっている。要するに、「子猫殺し」を道徳的・倫理的な観点から突き詰めて批判するのは難しいんですな。 これらを前提にした上で、それでも「子猫殺し」を批判するならば、「理由は正直ないんだけど、まあ見ていて気分のいいもんじゃないし、法律的にもマズそうだし、避妊させた方が猫
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