機体を初公開した式典で、三菱航空機社長として関係者と握手する川井昭陽(右)=2014年10月18日、愛知県豊山町の三菱重工小牧南工場で 一番言いたいのは、やめてしまうと、技術自体がなくなってしまう、ということです。航空機を造れる国は少ない。だからこそ、もう少し粘ってほしかった。駄目だと思ったときが、成功に近いというのが私の教訓でもあります。 「MRJ(三菱リージョナルジェット、スペースジェット)」の開発が中止になったことは、報道で知りました。 私は、8年前までの2年3カ月間、MRJを開発する三菱航空機(愛知県豊山町)の社長を務めていました。3代目です。当時は社員が1500人ほどいました。航空会社への初号機の納入延期は3度を数え、開発は難航していました。 普通の会社なら予算と人事と事業を掌握するのがトップの仕事でしょう。だが私にはなかった。現場を知らない親会社の三菱重工業(東京)が全ての権限