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日本語とlanguageに関するmoritataのブックマーク (2)

  • 「目上に〈了解〉は失礼」説の発祥について - メモ 2013.10.10~

    最近、「目上に『了解しました』を使うのは失礼なので避けるべきである」という言説 (以下、「了解」失礼説) に対して、「2009年頃に、とあるフリーライターが創作した偽マナーである」という意見をネット上でよく見るようになりました。 「了解」失礼説が広まったのは、実際ここ10年前後のことなのかもしれません。しかし、説そのものは昭和の時代から存在します。また、この説はフリーライターやマナー講師だけが唱えているものではなく、日語の専門家のなかにも同調している方々がいらっしゃいます。今回の記事では、そうした情報をご紹介します。なお、当記事は「了解」失礼説の適否について結論を出すことを目的とするものではありません。 昭和時代からあった「了解」失礼説 1970年代から1980年代にかけて書かれた、言葉に関するマナーをいくつか見てみたところ、 相手の要望に応えるときには、「承知しました」「かしこまりま

    「目上に〈了解〉は失礼」説の発祥について - メモ 2013.10.10~
  • みんな日本語の学術言語としての重要性を過小評価しすぎ

    この件. https://togetter.com/li/1274544 査読論文持ってないひとが責められるのはまあわかる(査読なし論文でも優れた論文というのは有り得るし,そういうのも業績として認められるべきではあろうが,このご時世ではまあ査読論文は持っといた方がいいよな……).でも英語論文を持ってないことが責められる理由になるのは当に理解できない. 何度も繰り返すけど,フランスでもドイツでもロシアでもスペインでも,そしてたぶん中国韓国でも,文系の研究業績の大半は自国語だから! 文系の研究業績が自国語で積み上げられるのは,世界標準だから! (インドやサハラ以南のアフリカ諸国のように長いこと西欧の植民地になってたり言語の数が多すぎたりして大学教育英語でやっている国や,ツバルやナウルみたいに小さすぎて自国語のアカデミアが成立しない国を除く.そういう国がうらやましいと言うならもう何も言えな

    みんな日本語の学術言語としての重要性を過小評価しすぎ
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