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昭和に関するmoritataのブックマーク (4)

  • 「日本はすごい国」昭和人間が過去の栄光を忘れられない理由

    「昭和」が終わって三十数年。あなた自身が「昭和人間」の場合も、身近な「昭和人間」についても、取り扱い方にはちょっとしたコツが必要です。「昭和人間」ならではの持ち味や真価を存分に発揮したりさせたり、インストールされているOSの弱点をカバーしたりするために、有効で安全なトリセツを考えてみましょう。今回は日に対する“セルフイメージ”について。 人は「過去の栄光」が、なかなか忘れられません。そして、漠然と抱いている「セルフイメージ」は、最も輝いていた時期をベースにしがち。今は「セルフイメージ」から遠くかけ離れていると分かってはいても、素直に認めるのは至難の業です。 いや、個々人の過去と現在の話ではありません。確かに昭和人間は、自分自身に関しても「セルフイメージ」と実態とのギャップを折に触れて感じさせられています。微妙に重なる話かもしれませんが、ここで考えたいのは、「日」という国に対する認識につ

    「日本はすごい国」昭和人間が過去の栄光を忘れられない理由
  • 65年間スクランブル交差点を見守る「天津甘栗」 - 渋谷の貸店舗・貸事務所の物件情報ならシブテナ

    一有名な交差点「スクランブル交差点」を駅から渡った先に、“天津甘栗”の看板があるのは見たことがある人も多いはず。じつは65年も前からあの地で甘栗を売り続けている渋谷の老舗なんです。 今回は天津甘栗を経営する藤山産業株式会社、代表取締役の藤山光男さんと、天津甘栗に長年務める橋正弘さんにお話を聞いてきました。 向かって左手が藤山光男さん、右手が橋正弘さん 「僕が生まれた昭和33年には、父は渋谷で天津甘栗の商売を始めていたと思います。その前から渋谷で商売をしていて、横浜の知り合いから“甘栗を売ってみないか?”と誘われたのがきっかけだったそうです。当時はめちゃくちゃ売れていたそうですよ! まだスイーツ店などがない時代だったので、デザート感覚だったのだと思います。一番多い時期は都内に10店舗、渋谷にも2店舗ありました」 そう教えてくださったのは、藤山さん。昔から渋谷で天津甘栗や飲店などを営

    65年間スクランブル交差点を見守る「天津甘栗」 - 渋谷の貸店舗・貸事務所の物件情報ならシブテナ
  • ハチ公前のくすり屋さん 三千里薬品・藤山雅朗さん - 渋谷の貸店舗・貸事務所の物件情報ならシブテナ

    渋谷駅前徒歩1秒 誰もが知っているあのお店 先日の兆楽の藤山光男さんの取材に続き、今回はお兄様の藤山雅朗さんを取材しました。 藤山雅朗さんは渋谷に来た人は必ず見たことがあるであろう「三千里薬品」のオーナーさんです。 そう、スクランブル交差点に面して2店舗ある、あの赤色の看板のくすり屋さんです。 渋谷駅前徒歩1秒の三千里薬品神南店 MAGNET by SHIBUYA109の角にある三千里薬品(神南店)ができたのは1962年(昭和37年)。 実は今のくすり屋さんのスタイルになる前に今の場所で違うお店を開いていました。 藤山雅朗さんの叔父さんが1952年(昭和27)に会社を設立し、「三千里堂」を始めたのがスタートです。 その頃のお店は20坪もあり、駅前の堂として大変賑わっていたそうです。 また藤山雅朗さんのお父様が堂の一角で、甘栗の販売をしたのが、今の甘栗屋さんのスタートになります。 19

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  • タレカツ、深夜ラジオ、薄荷の匂い。私が暮らした道東|文・せきしろ - SUUMOタウン

    写真・文: せきしろ 私は北海道出身である。 18歳まで北海道に、もう少し詳しくいうと北海道の「道東」と呼ばれる地域にいた。ざっくりいうと日地図で北海道を見て右側の尖っている方だ。 当たり前だが道東にはいくつも町があり、そのうちの4カ所の町で私は暮らした。北海道出身というと北海道自体にはいつかれるがその4カ所の町について訊かれることはない。かといって自分から話すこともない。しかし話したくないわけでもなかった。 今回町について書く機会をいただいた。これは4つの町に触れるチャンスである。もしかしたらこれが最初で最後の機会かもしれない。朧気ながらもある部分だけはっきりとした解像度がバラバラの記憶を、私のライフワークでもある自由律俳句と共に記そうと思う。 なんでもあった町、訓子府 ストーブの横にスケートが置いてある団らん せきしろ 私は1970年、昭和45年に訓子府で生まれた。「くんねっぷ」

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