【読売新聞】 年内にも閉店する宮城県のアンテナショップ「宮城ふるさとプラザ」(東京・池袋)の運営者が自前で後継店の出店を模索していることを巡り、宮城県が26日の県議会一般質問で後継店と連携する意向を示したことに、関係者から「虫が良す
日本一有名な交差点「スクランブル交差点」を駅から渡った先に、“天津甘栗”の看板があるのは見たことがある人も多いはず。じつは65年も前からあの地で甘栗を売り続けている渋谷の老舗なんです。 今回は天津甘栗を経営する藤山産業株式会社、代表取締役の藤山光男さんと、天津甘栗に長年務める橋本正弘さんにお話を聞いてきました。 向かって左手が藤山光男さん、右手が橋本正弘さん 「僕が生まれた昭和33年には、父は渋谷で天津甘栗の商売を始めていたと思います。その前から渋谷で商売をしていて、横浜の知り合いから“甘栗を売ってみないか?”と誘われたのがきっかけだったそうです。当時はめちゃくちゃ売れていたそうですよ! まだスイーツ店などがない時代だったので、デザート感覚だったのだと思います。一番多い時期は都内に10店舗、渋谷にも2店舗ありました」 そう教えてくださったのは、藤山さん。昔から渋谷で天津甘栗や飲食店などを営
渋谷駅前徒歩1秒 誰もが知っているあのお店 先日の兆楽の藤山光男さんの取材に続き、今回はお兄様の藤山雅朗さんを取材しました。 藤山雅朗さんは渋谷に来た人は必ず見たことがあるであろう「三千里薬品」のオーナーさんです。 そう、スクランブル交差点に面して2店舗ある、あの赤色の看板のくすり屋さんです。 渋谷駅前徒歩1秒の三千里薬品神南店 MAGNET by SHIBUYA109の角にある三千里薬品(神南店)ができたのは1962年(昭和37年)。 実は今のくすり屋さんのスタイルになる前に今の場所で違うお店を開いていました。 藤山雅朗さんの叔父さんが1952年(昭和27)に会社を設立し、「三千里食堂」を始めたのがスタートです。 その頃のお店は20坪もあり、駅前の食堂として大変賑わっていたそうです。 また藤山雅朗さんのお父様が食堂の一角で、甘栗の販売をしたのが、今の甘栗屋さんのスタートになります。 19
「手伝ってくれませんか」が言えない私 別のビルの人でも尋ねていい? 「ダンジョン」と戦い続けるために 段差が多い地形に4社が乗り入れ、東京屈指の迷いやすい「ダンジョン(迷宮)」駅、渋谷。11月には東口に47階建て複合施設「渋谷スクランブルスクエア」がオープンし、駅や周辺の案内表示も新しくなったといいます。どのくらいわかりやすくなったのか、「渋谷は苦手」な記者がベビーカーを押して探検してみました。少し離れて「お目付け役」の同僚も見守りました。(朝日新聞記者・高重治香、藤田さつき、取材は2019年11月21日) 「手伝ってくれませんか」が言えない私 私(高重)は渋谷区に住み6年半。ですが、渋谷駅はできることなら立ち入りたくない場所です。妊娠中やベビーカーで訪れた時、多くの路線が乗り入れてもともと複雑な上に再開発で経路が頻繁に変わるのに、案内表示が少ないことに閉口しました。方向音痴で、ターミナル
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く