坪内 稔典(つぼうち としのり、俳号ではねんてん、1944年4月22日 - )は、日本の俳人、国文学者。京都教育大学名誉教授。「船団の会」元代表。研究者としての専門は日本近代文学で、特に正岡子規に関する著作・論考が多い。 俳句の口誦性を重んじ、遊び心と軽妙なリズム感豊かな句を詠む。句集に『落花落日』(1984年)、『猫の木』(1987年)、『ヤツとオレ』(2015年)、評論に『俳句のユーモア』(1994年)など多数。 愛媛県西宇和郡町見村九町(現在の伊方町)に生まれる。愛媛県立川之石高等学校、立命館大学文学部日本文学科卒業。同大学院文学研究科修士課程修了。園田学園女子大学助教授、京都教育大学教授、京都教育大学附属京都中学校校長、佛教大学教授などを歴任。 高校時代から句作を始め、担任教師の勧めで「青玄」に投句、伊丹三樹彦に師事。詩集『石斧の音』刊行[1]。大学では日本近代文学、特に詩歌を専攻
今回は山頭火の少々哲学的な味わいの句をご紹介します。 蜘蛛が網を張る行為というのは、独特なイメージがあります。 蜘蛛の巣は、住処であると同時に、食物を得るための道具であり、しかもそれは蜘蛛自身の体から紡ぎ出されたものであります。 この奇妙な自己完結した空間は、『待つ』という行為に凝縮された弱肉強食の老獪な一つの仕掛けといった非情な自然のシステムの一つの形であると共に、何かの外的要因で破壊されても、すぐに復活して無限に自己空間を形成しようとする、一種の閉塞的な本能も感じさせます。 繭をつくって閉じこもってゆく蚕(かいこ)のモノローグ的なイメージに比べて、不気味な仄暗(ほのぐら)い本能を感じさせるのです。 山頭火が、『私は私を肯定する』といったことと蜘蛛の行為を並列させたことには、これらにある種の共通なものを感じとったに違いありません。 自分を肯定することは、他人や世間といった外的なこ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く