今も昔も子供やスイーツ好きの熱視線を一身に集め、王道を突っ走るフルーツパフェ。 大正時代の庶民にとって、果物やアイスはハイソな食べ物。なかなか手が届くことはなかった。昭和40年頃ようやく喫茶店でも定番になったといわれている。 さかのぼること3年。創業昭和37年のフルーツパーラーが現存するときいた。しかも果物屋直営である。 行く。行くしか~。
こんにちは、ライターの金原みわです。 ここは静岡県の積志駅。 食事をするためにふらふらと無人駅を降りてみたが、見事に何もない。 浜松駅から遠州鉄道に乗って10駅。浜松駅から北に延びるこの路線は、地域で暮らす人々の足になっているようだ。あるのは閑静な住宅街と、畑と、その中を走る電車。日々の生活をするのには良い風景だけど、ふらり旅の一場面では物足りなさを感じたりもしなくもない。 線路と並走するようにはしる二俣街道を歩きながら、そろそろ次の街へ行こうかと、そんなことを思っていた時。 トタンでできた長屋の真ん中に見えたのが、今回の店だった。 「お、おおお…」 その外見に、思わず声を発せずにいられなかった。 「いや~~~~これはまた、入りにくい店だなあ~~」 入るのを拒絶されている気がする まず何よりも目に飛び込んできたのは、その布団。 ボロボロになったサンルーフへ、2階からそのまま巴投げでもしたか
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