地久節(ちきゅうせつ)は、皇后の誕生日を祝う日。「地久」は老子の「天長地久」より採られている。皇后誕生日(こうごうたんじょうび)ともいう。 令和時代における日付は、今上天皇の后雅子の誕生日にあたる「12月9日」である(2019年〈令和元年〉 - )。 天長節(天皇誕生日)と異なり、皇室祭祀令に基づく宮中祭祀や、休日法の定める国民の祝日ではないが、男女別学が主流だった戦前期の女子校などにおいて、天長節に準じた扱いで祝賀の儀式が行われることがあった。 1930年(昭和5年)12月23日、大日本連合婦人会が結成されると、皇太后(貞明皇后)の女官長を辞職したばかりの島津ハルが理事に就任した[1]。島津ハルは島津長丸男爵夫人で、香淳皇后の縁者でもあった[注釈 1]。同会は、当時の地久節(香淳皇后の誕生日である3月6日)を母の日に定めた[1]。 しかし、母の日は連合国軍占領下の日本の1949年(昭和2