歩くことが好きだ。目的地があり、時間があり、心に余裕があるときは、歩いて向かうことが多い。距離によりけりではあるが、一駅二駅とかだったら全然歩くのを厭わない。歩き好きは三つ子の魂である。幼稚園まで2キロ弱の道を母と歩いて向かっていた。4歳児にとっての2キロは恋人たちのディスタンスに匹敵するヘビーな距離だろう。しかし、嫌がらず歩いた。3歳の時に標高1,984m、大雪山渓の黒岳に登頂したことは記憶に新しい。 そういうわけで今もよく歩くのだが、一人で機械的に歩みを進めていくと、頭の中の有象無象が収斂されていく感覚を覚える。これが好きなのだ。全く別口で得られた情報とか知識が、歩くことによって程よくブレンドされ、そこはかとない真理らしきものを見つけ出せたりする。弊ブログにて声高らかに標榜されているどうでもいいような考えの種は、たいてい歩いている最中に生まれているものが多い。 さらに、謎の多幸感に包ま