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家族に関するmoupのブックマーク (8)

  • 母には自分の部屋が無い

    私の家は核家族で、両親、兄、私の4人家族。 実家では小学校に入る時、兄弟それぞれに6畳の部屋が割り当てられた。 加えて父の仕事部屋、両親の寝室、居間が。母の部屋は無い。 母は何かあると「あんた達みたいに自分の部屋が欲しい」と言っていた。 彼女はちょっとした作業や読書は居間でしていたが、私物の殆どは押入れにしまい込まれている。 そんな母に父は「台所がお前(母)の部屋だろ」と冗談めかして言っていたが、 なんつーか社民党員が居合わせなくて良かったな、命拾いしたな父・・・・と思った。 単に我が実家の間取りが狭いだけじゃなく、 世の母親・たちには個室が与えられているのだろうか? ドア・フローリングがデフォの世代には当然個室があったりするのだろうか。

    母には自分の部屋が無い
    moup
    moup 2008/09/28
    そういえば。そのかわり家全体が母のものっぽい。
  • 僕は逆の立場です。 両親が高齢(父は42歳、母38歳)の時にできた子供。母親が..

    僕は逆の立場です。 両親が高齢(父は42歳、母38歳)の時にできた子供。母親が子供ができにくかった体質だったらしく結婚してから10年してから生まれた子供でした。 子供だった立場から言えば幸せでした。 両親がある程度の年齢だと生活が豊かに暮らせ、金銭的な面で苦労せずにすみました。 僕が小学生くらいのときは両親が高齢というのは若干感じる(周囲の友達の両親と年齢が異なる気がするなぁ・・・)って程度ですが、それが嫌だとかは感じませんでした。 ただ、僕が大学生になると(今も大学生です)父が定年でリタイアしたので若干生活は変わりましたが、それでも両親が高齢だったことの恩恵は受けていると思っています。 そのほかにも、両親と何か話す際にも人生経験が豊かであるためかさまざまな話を聞けるなどいい面がありました。 僕はあなたの彼の気持ちはわかりませんが、子供は親の年齢なんて関係ありませんよ。

    僕は逆の立場です。 両親が高齢(父は42歳、母38歳)の時にできた子供。母親が..
  • ここからいなくなりたいなぁと毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎

    あーそうやって思われてるんだと思った増田です。 休日は10時過ぎまで寝ています。なぜかはりきっている姉にたたき起こされることはよくあります。殴ってやろうか、殺してやろうかと思いつめることもよくあります。 私は学生ですが、姉の年収が低すぎるために同居しています。学校の寮には入れなかったのでシェアしたほうが安いということで妹も含め同居を選びましたが今は後悔しています。 もともとは姉が転がり込んで来るという形で断続的に同居が始まりました。姉のもっといい部屋に住みたい、お金を一番出してるのは自分なんだからそういうことを言う権利はあるはず、という言い分に不承不承転居し今は三人で住めるところにすんでいます。しかし、正直なところ前の家でも私には十分でしたし、妹と二人でシェアしてもいまよりも安くで住めていたのは確かでした。さらにその前に一人で住んでいた部屋であれば一人であってもさらに安かったのです。どの部

    ここからいなくなりたいなぁと毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎
    moup
    moup 2008/09/20
  • おやすみ。

    夏休みだから久しぶりに実家に帰ってきた。 でも、寂しくて仕方ない。 DQN妹が父親と揉めて、家を出るとか出ないとか叫んでる。高校5年かかって出た上に、看護学校受からなくて浪人中。母親はまた家出されたらたまらないから、って玄関で臨戦態勢。 きょうは大好きな弟も帰省してきたのに。 居間から聞こえる叫び声を聞きながら、弟の部屋で二人で冷のうどんチンしたどんぶり抱えて夕にした。 家族はあったかいものらしい。 我が家は、たぶん、端から見たら、超恵まれてるんだと思う。雇われだけどみんな知ってるわりと大手企業の重役を定年まで勤め上げて、今は子会社の嘱託やってる父親と、医大の助教授(ちなみに医療従事者だが医者ではない)を後数年で定年の母親、弟は地元で一番の進学校から宮廷修士とってやっぱり超一流企業のリーマン。自分は・・・弟と同じ一番の進学校から、駅弁薬学部。あとは頭は上二人にはおよばないけど愛嬌のある

    moup
    moup 2008/09/01
    おはよう!
  • おかんとケンカした。

    おかんとケンカした。にーちゃんのことで。 にーちゃんは10歳の夏に大きな病気をした。でも奇跡的に助かった。当時の主治医には「完治しました」といわれた。 ただ、後遺症なのかなんなのかよく分からないんだけど、退院後も頭が痛くなったり熱が出たりしてた。 1年ぐらい薬を飲んでたけどよくならなくて、最後に病院に行ったときは「自律神経失調症」っていわれた。 中学はあんまり通えなくて、高校も通信制に入ったけど結局ドロップアウト。 その後はふらふらしたり、ひきこもってひたすらテレビを観たりしてる。 部屋はものすごい汚部屋。昼夜逆転。それでたまに熱を出したり、頭が痛くなったりしてる。 そんな生活が続いて、気がつけばにーちゃんは30歳。 ここまではよくある話かもしれん。そしてこの後の話もよくある話かもしれん。 おかんは、にーちゃんが病気になったのも、その後ちっともよくならないのも、 それもこれもみんな「先祖の

    おかんとケンカした。
    moup
    moup 2008/08/19
    やさしいこ
  • ばあちゃんと自転車

    俺、老人苦手。 「おばあちゃんこ」とか「おじいちゃんこ」とかってスゴイ。 老人慣れしてるヤツってスゴイ。 電車で席も譲れない。話しかけるの怖い。 年に一回くらい田舎に連れて行かれた時の祖父母との対応に常にいっぱいいっぱい。 敬語で喋っていいんだか、親に話すみたいに普通にしていいんだかわからなくて、困る。 胃が痛くなる。 親がいなくなると、話題ゼロ。 田舎帰るの嫌い。 で、中学に入ってからは、部活や何だとかいって、親の帰省に付き合わなくなる。 高校に入る頃には祖父母なんて、一番他人に近い知り合い程度の認識。 ところが、 去年、じいちゃんが死んだ。 葬式はさすがに帰省。 正直、神妙な面持ちをするのが精一杯。全然、涙でない。感情移入できない。 ばあちゃんにも、結局、何も声かけれず。一言も話さず。 それから一年。 親父がいきなり 「ばあちゃんを東京に呼ぼうと思うんだけど、いいか?」 発言。 いやい

    ばあちゃんと自転車
    moup
    moup 2008/08/05
    おばあちゃん物は卑怯、会社なのに超涙目
  • 父親と話したこと。

    22歳。社会人1年目。 久しぶりに父親と話した。 最初は心療内科に行きたいという話をするつもりだった。 そしてぶっちゃけ仕事をやめたいと。 内定を最初にもらったからという いい加減な理由で選んだ職場は 離職率の高いハードな環境で。 最初のうちはがんばってやろうと思ってたけど ひとつのミスがきっかけで 見事なまでに五月病に陥った。 悲しくもないのに泣くようになった。 人前で笑えなくなった。 自分を病気だと思い込んだ。 めちゃくちゃ怒られると思った。 昔からいい加減なことは許さない父親だったから。 むしろ甘ったれな自分を叱咤激励してほしい。 そんな気持ちで父親と話をした。 でも父親は怒らなかった。 自分の話をとりあえず聞いてくれた。 そして言った。 自分をもっと大切にしろ、と。 お前は職場とプライベートの自分を分け切れていない、と。 仮に職場で評価されなくてもそれはお前そのものの評価ではない、

    父親と話したこと。
    moup
    moup 2008/06/20
    父親の評価って本当に必要とされた時の対応一発で決まる
  • オセロ必勝法

    祖父はオセロが好きだ。だが、とても弱いため僕に勝ったことが無い。 昨日突然倒れた祖父の見舞いに行ってなぜかそんな事を思い出した。 祖父が僕と遊ぶために牛乳瓶のふたで作ってくれた赤白のオセロ。 有利な盤面に上機嫌になり鼻歌を歌いながら祖父を追い詰める幼少の僕「お、孫君が鼻歌を歌うということはいい手がみつかったんやな!」と祖父。 僕は鼻歌の音量を上げ、「どうだ!」といわんばかりの顔で角のマスにコマを置く。すべては僕が祖父の癖を見破って編み出した必勝法のおかげだった。 二人のオセロブームは半年程度だったと思うけど、その必勝法は単純だし毎回使っていた方法なので、20年経った今でも完璧に覚えている。そしてその必勝法を思い出しながら今ごろになって気が付いたことがあり、久しぶりにオセロがしたくなった。 明日は祖父の好きなオセロを買って勝負しに行こうと思う。 父と母と祖母が、僕と祖父に何か隠し事をしている

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