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広告βに関するmultitaskcatのブックマーク (2)

  • 広告β:広告が環境に溶けていく日

    しばらく前から自分はゲームについてのを読みあさっている。それは私がゲーマーであるからではなく、何となくこれからの広告の道を示唆する何かがゲームというものに潜んでいると考えていたからだ。もちろんそれはテレビゲームの中に企業名を仕込むとか、そういうことではない(いわゆるゲーム内広告)。もっと大きなところで、広告のメッセージ構造の転換があると考えている。 とても示唆的な言葉が斉藤由多加氏の著書「ハンバーガーを待つ3分間の値段」に書かれていたので、長いけれども抜粋する。 ゲームの企画者の意志やメッセージはどこに表現されているのでしょうか。それは、実は、「枠組み」そのものに込められているのです。(中略)『シムシティー』というゲームはシミュレーションのお手というべき名作です。(中略)悪化した住環境を改善するには・・・?その答えは「公園を作ってやる」ことです。(中略)このゲームのプレイヤー達はや

    multitaskcat
    multitaskcat 2008/05/08
    深い…。でも難しそうだけど、あり得ると思う。広告はやがて洗脳へ? またタイトルが格好いいよね。「広告が環境に溶けていく日」
  • 広告β:アイデア出しと修行

    宗教などでよく聞く「修行」という言葉。 自分などは、反射的に「滝に打たれる感じ」を想起するのだが、 仏教ではもともと「歩くこと」という意味だったらしい。 歩くこと、といえば、アイデア出しの達人などは 散歩が好きで、歩いているときによく思いつくという話を聞く。 シャワーを浴びているときとか、トイレにいるときなどの意見も聞いた。 深く意識せずにできる(反復的な)行動を取っているときがよいらしい。 少し疑問がわく。 なんで、悟りたいのに、アイデアを出したいのに、歩く必要があるのか。 それに集中してはいけないのか。 もし、非常に「進歩的な」宗教者が出てきて、 いやあ悟りに修行は不要なんですよ、といったらどうだろう。 宗教に詳しくないが、もしかしたらそういう宗教はすでにあるのかも。 10万円出してこのを買えば、悟りに達しますよ、みたいな。 あるいは「歩かなくてもアイデア

    multitaskcat
    multitaskcat 2008/04/09
    いつもながら、納得するスッキリした考察。修行の時間を、もっと日常に組み込みたい。「深い思考」=「思考のゆとり」になると思う
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