告発をする人は前提的に「被害者」です。止むに止まれず告発をする。すでに精神的にダメージを負っているところに加害者やその周辺からの圧力があり、SNS等で二次加害にも遭う。だからわれわれは被害者にそれ以上を望むべきではない。あとは周囲の問題、つまりわれわれがどうするかだけが問われる。 われわれが告発に沈黙している時、その文化は被害者を黙殺した上に成り立っている。悪がなされているのに、その悪を糾弾もせず、見過ごしたまま、被害者の尊厳を踏みにじりながら「映画とは」「批評とは」と呑気に語っている。その浅ましさや醜さへの自覚がありますか?その言説に意味はありますか? 告発された映画作家と批評家として付き合い併走してきた人もいる。その人が作家を擁護すべき根拠があるならそれで構わない。でもそうでないならば「間違いだった」と表明すべきです。それだけで救われる被害者が沢山いる。あなたの沈黙が被害者をどんな孤独