したがって、あらかじめ投宿先を決めておくことはなく、いつも、行き当たりばったり、体力と気分で宿を取る。このときも、いきなり、むさくるしい格好で玄関に立ち、一晩の宿をもとめた。 車から下ろした大仰な機材を見た女将が「何かの撮影ですか」と訊ねた。「蛍です」と応えた。たったそれだけの短い会話が、この村の、神門という土地の、想像を絶する奥深い風土に触れることになるとは、思いもよらないことだった。 壬申の乱、古代朝鮮、百済と新羅、白村江の戦、百済王族の亡命、そして西の正倉院建設、韓国元首相や歴代韓国駐日大使の来村…。 日向から椎葉へ至る国道は、狭く、曲がりくねっていた。1時間ほど走ったところで、おやっ、と思い、車を急停車させた。バス停の名が「卸児(おろしご)」となっている。さらに行けば「ながされ」「児洗」とつづく。「うぶの」という集落もあった。不思議な感慨を抱いて看板を撮影していった。やがて国道脇に