戦時中、当時の日本の画家達が、総動員で戦争画を描き国家奉仕を行いました。上の絵はその時の一枚 。 全国持ち回りで展覧会が開かれ、学校行事として、全員連れられて見学したのは多分昭和20年の春頃だったと思います。但し、上のサイパン島玉砕の図を始め、何枚かの絵は児童生徒には残酷過ぎる、という理由で、別室展示になり見る事は許されずに終わりました。 19年11月、そのサイパンからのB-29による東京初空襲が行われる一方、フイリピンではレイテ島の争奪戦が始まり、戦局は破局へ向けて急速に転がり落ちる事になります。 藤田画伯には上記のサイパンの絵とは別に「ニューギニア戦線で玉砕した山田部隊の死闘の図」があります。これも残酷な絵で、彼の後年の絵「天国と地獄」にその残酷さが続いているような気がします。 この絵は、千葉県安房郡三芳村延命寺所蔵の「地獄絵」(部分)です。一見して分かる通り、フジタの絵そっくりで