1年ほどかけて描いていた二次創作の分厚い漫画がようやく完成しpixivにアップしたところ、今までで1番の好感触でたくさんのブクマをいただいて喜んでいたのですが、2週間かけて得たその評価を同じジャンルの人のらくがきに半日で追い抜かれ、私がかけた1年はなんだったのだろうと無力感に苛まれています。
住田良三を平凡社の『新撰大人名辞典』(昭和12年10月。復刻:『日本人名大事典』)でみると、 スミダリョーゾー 住田良三(一八九一−一九二〇) 大正時代の洋画家。大阪の人*1。洋画を能くして令名があったが、また多才にして松井須磨子、伊庭孝らと共に劇壇に身を投じて舞台にも活躍した。大正九年渡仏して画道に精進中病を獲、パリのサンクルー山上病院にて客死す。年三十。 この人が、水木しげる氏の大叔父(水木の父武良亮一の叔父)でパリにおいて30歳で客死した画家と思われる。昭和12年発行の人名辞典に名が出ているとは、その時点でもまだ知名度がある程度高かった証拠であろう。なお、ウィキぺディアの「水木しげる」の項に「住田良造」とあるのは、何かの間違いか*2。上記辞典の生没年も誤りのようで、大正10年5月12日付東京朝日新聞によると、 住田良三氏客死す 大阪の新進洋画家住田良三氏は昨年五月織田明氏*3と共に渡
4月から美大の学生になった。 美大といっても、大学生と一緒に通う形のもんじゃなくって、ムサビが社会人向けにやっている各種学校のほう。 普通に19歳と一緒に美大に入るには、私にはほかの生活がありすぎるので、1年分のカリキュラムを、私は週2日づつ2年かけてやってる。 これは人生のリベンジなんである。 とにかく、どうやったって絶対絵を描きたくて、学びたいのは美術で、ほんでもって高校の美術の先生も「君は絶対美術系に進みなさい」って言ってくれてたにもかかわらず、親に強固な権力行使をされて普通大学にしか学費を払ってもらえなかった。ってか、それ以外は選択の余地なしで、父親のDVも恐ろしかったので、そうするしかなかった。 今の時代、得意なものを探せ、やりたいことをみつけろ、進路を早めに定めろってさんざん言われてるのに、当時、それをちゃんと高校一年生から定めていた私は、ちっともやりたいことなんて選ばせてもら
学校をやめて絵に専念すると決意した@Nelphin700さん(16)、及び@Nelphin700さんへのツイッター民達のリプライです。 真剣に彼(?)の将来を考えてリプを送っている人たちを見ると胸が熱くなりますね…! 1/10追記 20:55 本人様の謝罪ツイートを追加しました。 1/11 一部修正しました。すいません。 続きを読む
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く