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人間と地震に関するmythmのブックマーク (3)

  • 東日本大震災でオレが出会った修羅場ワースト10

    また、この日が来た。 そりゃ、あの災害を忘れないようにしようとするのも結構だが。その一方で忘れてしまいたいのも事実。オレが被ったヒデえ事件を以下列挙すると、こうなる。 第十位 家に帰れない →津波被災のため、三日間国道が閉鎖されて家に帰れず。自衛隊の尽力で瓦礫が撤去されて家に帰れるようにはなったが、家には電気・水道・ガスも通っておらず結局なんでも揃ってる職場に一週間寝泊まりした。 第九位 物資が入らない →震災直後、職場の目の前の国道が通行止めなったモンで、車を職場の駐車場に乗り捨てる不届き者がいないように見張りを頼まれた(独りでできる仕事か?)。で、駐車場の入り口で突っ立ってたら。目の前のコンビニに人が殺到して次々物資を買いあさっていた。「あー、こんな仕事してるせいでコンビニにも行けねえんだな。」って落胆。実際、復旧するまでの一週間。店でモノ買った記憶がない。 第八位 支援物資を分け与え

    東日本大震災でオレが出会った修羅場ワースト10
  • <震災5年>見てて ばあちゃん 地震・津波研究へ (毎日新聞) - Yahoo!ニュース

    東日大震災から11日で5年。大切な人を失った「あの日」。同じ思いを繰り返したくないと、津波や地震の研究を目指す大学生。子どもたちに励まされ起業した父。仮設住宅で1人暮らしの祖父は今も後悔が消えない。大切な人への思いを胸に、それぞれの5年を迎えた。 キャンパスを冷たく澄んだ空気が包んでいた。宮城県多賀城市出身の岩手大工学部1年、福田栞さん(19)はここで津波や地震の研究をしようと決めている。「もう誰にも同じ思いをさせないために」。進路を選ばせたのは、東日大震災での祖母とのつらい別れだった。 2011年3月11日、中学2年だった福田さんは帰宅後、居間でテレビを見ていた。隣の和室には祖母マシノさん(当時73歳)がいる。普段と変わらない午後を揺れが襲った。 母がパート先から戻り小学5年の妹も帰ってきた。家の片付けをしていると「逃げろ」と外で声がした。母の車で高台を目指したが、渋滞する道路

    <震災5年>見てて ばあちゃん 地震・津波研究へ (毎日新聞) - Yahoo!ニュース
  • Google 未来へのキオク - 3 月 11 日。あの日から 3 年。

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