WASD 95年頃には、北米DoomシーンはDoomというゲームの特殊性と言いますか、著しいキー設定の制限によりESDF/RDFG設定を確立していました。95年の北米DoomシーンとはマイクロソフトがWindows 95普及の為のキラーソフトとしてDoom95を大々的に宣伝し、今日のオンラインマルチプレイヤーゲームの前身となる月額制ダイアルアップマルチプレイヤーゲームサービスDwangoにDoomを遠隔地の人と遊びたくて毎月9.95ドルを支払う人が1万人に迫る勢いで存在した…そんな時代です。 ビル・ゲイツもショットガン片手にご満悦だ しかし翌年の96年にQuakeが登場した事で、Doomはすぐ衰退期に入ります。今日ではQuakeはDoomと全く異なるアーキテクチャ、プレイ感覚を有した…端的に言えば別のゲームだと多くの人が認識していますが、ジョン・カーマックが定義する技術的世代階層という観点