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オウムに関するna23のブックマーク (49)

  • 倫敦橋の隠れ里 オウム擁護のレトリック

    [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 藤原新也についてもう少し書こうと思ったら、こんなニュースが有った。 連合赤軍 永田・坂口両死刑囚の再審棄却 東京地裁 http://www.sankei.co.jp/shakai/jiken/061202/jkn061202002.htm まだ再審請求の棄却がされてなかった事の方に驚いた。 再審請求はあの安田好弘弁護士が担当してたはず。 1993年最高裁で上告棄却、死刑が確定している。2000年に再審請求して、その判断がようやく下されたということなのだろう。 ちょっと前に連合赤軍の法廷闘争について調べていた。 裁判が革命運動の延長線上にあり、裁判制度がいろいろ戦術的に使われ、被告人同士の相互批判・自己批判の繰り返しがあり、刑務所改善運動・死刑廃止運動も絡んでいて、ものすごくウンザ

    na23
    na23 2007/04/13
    「タブーだから触れられないのではなく、あまりに主観的で事実誤認が多いからトンデモ本扱いされているだけではないのか?」…かも。
  • ざっくりとだけ - finalventの日記

    年明けからちょっと別件で思うことがあり、ついでにタントラ関係のものを読み、ついでにチベッタン・システムと美術関連のものを読みながら、つらつらAUMのことを思い出した。単的に言えば、彼らは教義とシステムを完成させていたか?という点だ。吉はこれを麻原に帰着させているようだが、そこがよくわからない。 昔ニフティのことだがAUMerはけっこううじゃうじゃいて奇妙な神秘学を語っていた。ただの独断というのはどうでもいい雑音なのでその雑音からどう教義を聞き取るか、あるは権威を聞き取るかが難しいし、彼らはあまり正確な仏教の知識というか史的な知識をもってなさそうなのでおよそ対話にはならないと思った(教義と学問の差が理解されてない)。ま、これは今でもそう思う。が、ある程度チベッタン・システムなどを知っているなら麻原の教義の出所や水準はわかる。チャクラ関係の教説は神智学を経由しておりインドやチベットのネイティ

    ざっくりとだけ - finalventの日記
    na23
    na23 2007/01/23
    さりげなくスゴイことを言うからなぁ
  • 田口ランディの日記と情報 : 黄泉の犬 藤原新也

    2000年6月長編小説「コンセント」を出版。その後「アンテナ」「モザイク」(共に幻冬舎)を発表。「富士山」「ドリームタイム」(文藝春秋)「ひかりのメリーゴーラウンド」(理論社)原爆をテーマにした短編集「被爆のマリア」(文藝春秋) 「キュア」(朝日新聞出版) ノンフィクションでは「忘れないよヴェトナム」「ひかりのあめふる島屋久島」「もう消費すら快楽ではない彼女へ」(いずれも幻冬舎) 「ハーモニーの幸せ」 「水の巡礼」(共に角川文庫) 「オカルト」「神様はいますか?」「根をもつこと翼をもつこと」(いずれも新潮文庫)「寄る辺なき時代の希望」(春秋社)な生きる意味を教えてください」(バジリコ) 詳しくはホームページをご参照ください。 http://www.randy.jp/

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    na23 2006/11/17
    そういう内容か。
  • Shinya talk - この不気味な沈黙は何?

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    na23 2006/11/10
    「事件の様相を一変させる証言を書いたこの本はあらゆるマスコミから無視されている。」
  • ★J憲法&少年A★: 上祐史浩語る

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    na23 2006/10/24
    上祐についての意見に同意。
  • ドクター苫米地ブログ − Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog : TBSが発狂した - ライブドアブログ

    2006年09月15日20:37 カテゴリ TBSが発狂した ナックルズの取材で長野の殺人事件現場に来ているので、見ることができなかったが、TBSがオウムの上祐をスタジオ生出演させたらしい。TBSが狂った。過去にも坂弁護士をオウムが殺害する直接の引き金を弾いたのがTBSだったが、あれは、一社員の個人の犯罪だったが、今回はTBSという社の判断だから、TBSが発狂したとしか考えられない。今後TBSの取材はお断りするしかない。まさか、他局が追従することはないと思うが、そんなことになれば、国会で日の放送行政を抜から考え直さねばなるまい。 生出演させるというのは、一切、編集せずに好き勝手にしゃべっていい機会を与えるということだ。つまり、放送法、電波法で縛られたはずの公共の電波で、殺人集団オウムの宣伝を自由にさせたということだ。最高裁が死刑を確定した矢先に、その大事件を引き起こした張人の集団の

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    na23 2006/09/16
    同意。これを見て上祐の信者が増えるのは間違いない。TBS発狂。
  • オマ頃#9 「野に賢人あり!?」 - くらやみのスキャナー

    足かけ3ヶ月オウムネタを書き続けているわけですが、というかオウム事件の事を「ネタ」とか言っているわけですが、これ書いていて「もしも自分がサリンの被害に遭っていたら、今同じ事が同じ調子で書けるだろうか」というのを、たまに考えるわけです。自意識カジョーだけど。昔、小林よしのりさんがまだ『SPA』でゴーマニズム宣言を連載していた時、彼は地下鉄サリン事件以前から反オウムの立場で漫画を描いていて、結果オウムにVXガスで命を狙われて(!)、その事をまたゴー宣で訴えて、というような事をやっていた。んで、彼が必死で主張を訴えていたその『SPA』に↓のような巻頭記事が載ったものだから、小林さんは怒ったのなんの……。(『週刊SPA! 1995年5月3・10日号』)そりゃそうだろうという意見もあろうが、当時、僕は小林さんの怒りを「かっこ悪い」と思ったのだ。だって編集部がオウムとグルになって小林さんを殺そうとした

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    na23 2006/06/23
    それにしても河野さんの偉さ。
  • オマ頃#10 「1995X」 - くらやみのスキャナー

    ■[1995][etc]オマ頃#10 「1995X」 「オウマーだったあの頃」シリーズ最終回は、1995年にオウム真理教を巡って書かれた文章・発言を集めてみた(例によって強調はkataru2000による)。内容そのものよりむしろ、こういった文章が書かれ、読まれた11年前の時代の気分とか空気を感じてもらえたらと思う。読んでいただけるとわかるけど、2006年の今だったらこの内容をこういう言い方で書いても通用しないだろうなあと思われるものも、今だったらもっとストレートに書いても通じるよというものもある(もちろん別に違和感を感じないだろうものもある…爆笑問題のやつとか…)。あらためて1995年を境にして、世の中の潮目が変わったんだなあと思う。そして地下鉄サリン事件は確実にきっかけになっている。 潮目が変わったのならば、やり方を変えないと釣果は上がらない。現在30代以上で肩書きのある人が、11年前と

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    na23 2006/06/23
    読んだ憶えがあるのがいくつか。『ジ・オウム』とか持ってたし。
  • くらやみのスキャナー:オウマーだったあの頃 #5

    ■[etc][1995]オウマーだったあの頃 #5 サティアン横浜のピースな雰囲気にすっかりヤられたワタクシだが、関内は度々通うのにはちょと遠い…と思っていたら、もらった大量のチラシの中に「サティアン渋谷 近日オープン」というのを発見。渋谷だったら会社の行き帰りにも気軽に寄れるというモンなのである。 チラシの地図をたよりに歩くと、サティアン渋谷は「プリメーラ道玄坂」というマンションの3階にあった。全く余談だけど、このマンションは、ライブハウスLA MAMA の入ってるトコでありまして、丁度この年の5月に「JOHN ZORN'S COBRA 東京作戦【長谷部信子部隊】」という企画を見たばかりだったので、ここかよ〜とウケてしまった。マンションだというのにオウムは店を開くはライブは夜毎行われるわで、住民の方々の心中を察して余りあるのであった。まあ事務所ばっかりなんだろうけどね。 さらに脱線して5

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    na23 2006/04/17
    なにやら懐かしいような記事だ・・