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figure skateとexpressionに関するnaglfarのブックマーク (2)

  • 福山知佐子のブログ

    3月29日 もう一度、はっきり書きたい。今回の浅田真央の「鐘」は、アスリートとしても、身体芸術としても、あり得ない次元(と私の身体は、生々しく、リアルに、感じた)。 これがフィギュアスケートなのだろうか!?と度肝を抜かれた、と言ってもいい。(別の明るく楽しいい曲だったら、たぶん・・・私個人は、こんなにも心を奪われることはなかっただろうと思う。) 私は心底惚れこんだもの、震撼したものについてしか書きたくない。 浅田真央の「鐘」のプログラムは、恐怖を感じるほどに、艶がある。侠気(おとこぎ)と、エロスは矛盾しない。極限の生を見せながらも、同時に端正で、豪奢である。 私の身体が、激しく動揺するほどに、このプログラムはエロティークである。 浅田真央は、曲の展開にのせて、空気そのものの動きのダイナミズムまで変化させ、色彩、質感、空間の広がりや、捻じれ、時系列まで変化させて見せた。これを見て「表現力が足

    福山知佐子のブログ
  • 青嶋ひろの氏の文章について | MURMUR 別館

    Yahoo!ニュースに、青嶋ひろの氏(フィギュアファンなら、名前を見たことのある方は多いでしょう)が、「浅田真央が気づいていない大切なもの」という文章を寄せていた。 それを見て、怒り狂いました。 この人はこんなに長い間フィギュアスケートを見てきて、選手とも近くに接してきて、あんなに沢山の選手の懸命に努力する姿や、彼ら/彼女らの素晴らしい演技の数々を見てきたはずなのに、実際には何も見て(見えて)いなかったんだと愕然としました。 あの「鐘」を見て、何故真央選手が芸術的に開花していないと言えるのだろうか。何故「ノーミス」や「得点」、または「トリプルアクセル」しか目指していないようなことが言えるのだろうか。 単にノーミスや順位、得点だけを追い求めるなら、真央選手だって(引き合いにだすのもナンですが)キムヨナ選手のように大衆受けする曲を選び、難易度を落として毎回絶対に完璧に滑れるプログラムを作ってい

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