前回、「東大コンプレックス」で東大という知的権威をめぐる、人々の複雑な情念のうごめき(コンプレックス)について考えた。学歴(学校暦)は微妙な話題で、深く考えるとややバツが悪い感じがする。 学歴は何のために必要だろうか。伝統的に、教育は、職業上の生産性を上げるものだと考えられていた。たしかに小学校で習うような最低限の「読み書きそろばん」的技能は、現代社会で働くためにはどんな職業であっても必須だろう。 では、大学の文学部はどうだろうか?たとえば、そこでインド哲学を学んだ人が、家電メーカーに入って、営業部に配属されたとしたら、大学時代に学んだ内容は本当に仕事に生かされるのだろうか。生かされる気もするし、そうでない気もする。 経済学では、学歴への投資をシグナリング理論を通じて考える。労働市場においては、雇用主から見て、どの労働者がどれくらい優秀なのかわからない。もし、ある学歴を獲得するのが十分に困