溥氏は京都市内で花札製造会社としてスタートした任天堂を、世界的ゲーム機メーカーに押し上げた「中興の祖」として知られる。1949年に3代目社長に就任し、米大リーグ、シアトルマリナーズへの出資でも話題になった。2002年に社長を退任し、13年に85歳で死去した。 万丈氏は溥氏の養子で、血縁的には孫に当たる。18歳までを任天堂の本社がある京都で過ごし、大学入学を機に上京。卒業後は博報堂に勤めたが、19年に退社し、一族の支援を得てファミリーオフィスを立ち上げた。いとこや兄弟を差し置いて自分が養子となり、21歳で巨額の遺産を相続した意味を考える中で「山内家の理念を実践し、次代へ引き継いでいく組織を作ろうと思った」と説明する。 ゲームがことさら好きだったわけでもなく、溥氏の経営哲学も「正直、よく知らなかった」という万丈氏。ファミリーオフィス設立に当たり、溥氏の元部下らに話を聞くなどして理解を深めたとい