タグ

思い出に関するnakmのブックマーク (2)

  • その日の分を、そのときに - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所

    どうも、すっかりブログの更新が減っている者です(挨拶)。 いや、更新してないなー、とは思ってたんですよ。まあでもアレがナニで、もにょもにょがドキューンでしてな。まったく何も説明できてねえよ。 しかしあれだね、毎日続けていたものでも、止めるのは簡単だね。1日、2日のものなら再開するハードルは低いし、なんてことねえし、「やべ、更新しなきゃ」みたいな心理がどこかではたらくものなんだけど、それが3日、4日になると、そういう心理が薄れてしまうんだよなあ。不思議なことに。 更新し続けているときは、更新している状態こそが日常で、更新しない状態は非日常。なので更新していない状態を気持ち悪く感じる。非日常だから落ち着かない。生活を日常に戻したい。それが1日、2日の状態。 しかしそれが続いていくと、更新しない状態が日常になってしまう。日常が入れ替わってしまうんだな。何をベースにするかという価値観が。 途切れて

    その日の分を、そのときに - (旧姓)タケルンバ卿日記避難所
  • 〝新伍が逝った〟: 梅宮辰夫の不良番長 powered by ココログ

    俺と新伍の出逢いは、今から40年程前、昭和44年頃だ。 当時は、日映画界の大隆盛期で、東宝・松竹・日活・大映・東映・新東宝という六つの映画会社が、月に48もの映画を製作していた。 俺達が在籍していた東映は、京都と東京に撮影所がわかれていて、京都は時代劇、東京は現代劇の作品を作っていた。 東京現代劇の方は、亡くなった鶴田浩二さん、今も元気な高倉健さん・菅原の文ちゃん、それにこの俺とで弧塁を守っていた。 そこへひょっこり京都撮影所から移籍してきたのが山城新伍だ。 市川右太衛門・片岡千恵蔵・中村錦之助・大川橋蔵・里見浩太郎・松方弘樹の方々、そうそうたるメンバーが頭上に居て、これ以上自分の出る余地無しと判断したんだろう。手薄な東京へ進出してきたのだ。 頭の廻る奴だナーと思った。 俺の持ち作品、不良番長の3作目からメンバーにすっぽり入り込んだ。 16作品最後迄一緒だった。 その他にも、〝夜遊びの

  • 1