「いじめ」の耐えられない軽さ:問題編「罰とバチの違い」 「罰」と「バチ」は違う。 この違いは、「いじめ問題が対処困難であること」と本質的な関係があるのかもしれない。 ・・・とか考えたという雑感エントリー。 「倫理の世界:罪と罰」 「近代西洋の理屈では、「罪」と「罰」が反対語(アンチノミー)として対応している。」 太宰治が「人間失格」でドストエフスキーの「罪と罰」について、そんなお話を指摘している。 「まさか。……罪のアントは、善さ。善良なる市民。つまり、おれみたいなものさ」 「冗談は、よそうよ。しかし、善は悪のアントだ。罪のアントではない」 「悪と罪とは違うのかい?」 「違う、と思う。善悪の概念は人間が作ったものだ。人間が勝手に作った道徳の言葉だ」 罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニム