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thinkとダイアリーに関するnattowのブックマーク (6)

  • スイーツやけ食い - matakimika@hatenadiary.jp

    理解(わか)る!現在(いま)なら理解(わか)るゼ!ギャルどもがスイーツをドカいするその理由(ワケ)がよォー!…みたいなことを考えつつプリンとかケーキとか山のようにって満福になって幸腹。自分の問題が片付いたら世の中まで平和になったかのように錯覚するから不思議だ。逆に世の中がドンヨリしていると、自分までゲンナリしてしまうのも人間の機能なのだろうか…。 いや話を戻して、頭使うと甘いものいたくなるってのは昔からあって、でもおれはあんま頭使いたくないので、普段は甘いものが要らない。頭使うかわりに理屈で考えるようにしているのだ。理屈ってのは便利なもので、これ使って処理してるぶんには、自分でものを考える必要がないんだよね。しかも傍目には一見頭使ってるように見えたりもする。実際は半分寝てるような状態に近いね。というわけで、面倒事がやってきたときは、めんどいから粗方のことは理屈に割り振って、割り切れな

    スイーツやけ食い - matakimika@hatenadiary.jp
    nattow
    nattow 2009/08/05
    「理屈ってのは便利なもので、これ使って処理してるぶんには、自分でものを考える必要がないんだよね。しかも傍目には一見頭使ってるように見えたりもする。」
  • なぜ女の子は「何食べる?」と聞くと「何でも良い」と言うくせに、いざ具体的に提案すると「それはイヤだ」と言うのか - ハックルベリーに会いに行く

    プレゼンテーションをしていて時々気付くのは、相手がプレゼンの内容にはあんまり注目してなかったりすることだ。むしろ、プレゼンするぼく自身を見ていたりする。そもそも、相手に対して何かをプレゼンする時には、向こうが思いつかないようなアイデアをこちらがプレゼンするわけだ。向こうは、ぼくが思いつくようなアイデアを思いつけないから、ぼくにアイデア出しを頼むわけである。但し、クライアントは向こうだから、最終的に選ぶのは向こうなのだけれども、内容が専門的だったりすると、相手にはもう、それが良いか悪いか分からなかったりする。彼らには、それが判断できなかったりするのだ。そうした時に、相手はどうするかというと、そのプレゼンする人を見るのである。内容ではなく、そのプレゼンの仕方を見るのだ。彼の熱意であったりとか、ちょっとした仕草とか、眼差しとか、声のトーンとか、汗の書き方とか、そういうところを見るのである。そして

    nattow
    nattow 2008/12/11
    プレゼンは「何を」もさることながら「どう」が重要という話
  • はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28

    はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました - はてなの告知
    nattow
    nattow 2007/10/14
    はてなスターのときに散々文句を言いながら考えたのは、でもやっぱり「はてな」に(はてな自身に)何かを期待せざるを得ない、という現状があるということ。その根拠のない期待感すらなくなったらそのときは・・・。
  • また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題

    ところで成句「趣味は人間観察です」は、いろんな経緯があってのことだが、発声即ち「自分は自意識過剰の痛いひとです」という主張を意味するので、取り扱いが簡単でない。ようするに、 観察する側の人間である=行動する側の人間ではない=場の主流派に所属していない、まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない人間である、と言っているのに等しい(もちろん個別の例外はあるが、それは後々カスタマイズしていけばよいだけのことで、データベース型の第三世代人間関係インデックス能でマッピングする際は、初期位置をそこにセットするのが自然だ)。コミュニケーション至上主義勢の用語で一言でいえば「さびしいひと」。 なぜここで「まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない」とまで断定できるのかといえば、それができるひとの大概はそれなりの人間観察能力を持ちつつもそれをあくまで手段として使っているから。趣味的な観察はあくま

    また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題
    nattow
    nattow 2007/10/10
    わし的には「それをあくまで手段として使っているから。」で終わってしまうなぁ・・・。そこで終わらないからこその「また君か。」なのだろうし、だからこそわしは読み続けるのだけれども。
  • 朝の珈琲果つれば - matakimika@hatenadiary.jp

    日曜朝っぱらから EM ONE 片手にカフェに出てひまをつぶす。インターネットは割合平和。暮らしもそこそこ平穏。今日も晴れ。日差しは強い。元ヤン主婦ズが窓際でおしゃべり。親族連れの中国人ご一行様がまじでうるさい。そういえば昨日の夕方からこっち耳に入る喧噪はガイジンの声ばかりだ。そんな中では元ヤン現 DQN 主婦トークの聞き流しにはいっそなつかしささえ覚えかねない。旦那の愚痴から姑の愚痴から子供の愚痴から生活の愚痴までありとあらゆる愚痴をしゃべるのが楽しそうだ。そんな苦痛でもないのだろう。いろいろあるけどぜんぶまとめて人生というかな。考える前に納得している。こうあるべくしてある現場主義的な生き方。それを生命力というなら、生命力のない側の生き方というのは、なんなのだろうなー。どうやったらそうなってしまうのか。といっておれは彼らの側にも彼女たちの側にも行き方がわからないのであり、生きるべくして生

    朝の珈琲果つれば - matakimika@hatenadiary.jp
    nattow
    nattow 2007/09/21
    「普通はそんなことはやらないし、やる必要がない。しかしおれはそこをあえてやりたいし、やらなければなるまい。」
  • あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記

    って感じかな、俺はね。 私は人間の人生というのは失敗するようにできているのだと確信している。 なので、成功を実感しつつ、ポジティブに生きている人間というのがよくわからない。ボルネオには私の知らない生物がいるのと同じくらい。 というあたりで、考えが止まる。 まあ、いいや、私は私なり考えてみよう。 生きていると困難にぶつかる。半分は偶然だ。しかし、その偶然が、げ、それはないでしょっていうくらい悲惨なことがあるのが、人生の不可解の一つだ。ここから得られる一般論は、人生というのは大方運命だな、と。 死んだ人は帰らない。 失われた愛は戻らない。 がっつんと不運に会ったら人生は終わるまでの不良債権処理みたいなもん。 で、あと半分だが。 自分が生きようと目論見ると、困難になる。これは多分に、自分は自分の心に嘘はつけないなというところに端を発している。もちろん、自分の心に嘘をつけないやつなんか社会に生きて

    あなたは自分の人生の経営者ではありません。子供たちもいずれ自分の人生の荒波に消えていきます。 - finalventの日記
    nattow
    nattow 2007/01/25
    私は私。なるようになる。
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