ベレンコ中尉亡命事件(ベレンコちゅういぼうめいじけん)は、冷戦時代の1976年9月6日、ソビエト連邦軍(ソ連防空軍)の現役将校であるヴィクトル・ベレンコ中尉が、MiG-25(ミグ25)迎撃戦闘機で日本の函館空港に強行着陸し、アメリカ合衆国への亡命を求めた事件である[1]。ミグ25事件とも呼ばれる[1]。 この事件により低高度侵入の有効性とルックダウン能力の重要性が浮き彫りになった他、それまで西側諸国に知られてこなかったMiG-25の性能が分解調査によって判明した。また、航空自衛隊の防空体制を根幹から揺るがし、日本における防衛論議の流れに変化が生じるきっかけとなった事件である。 航空自衛隊のF-4EJ 1976年9月6日、ソ連防空軍所属のMiG-25戦闘機数機がチュグエフカ基地から訓練目的で離陸。そのうちヴィクトル・ベレンコ防空軍中尉が操縦する1機が演習空域に向かう途中で突如コースを外れ急激