近鉄をリーグ優勝、オリックスをリーグ連覇と日本一に導いた名将・仰木彬氏(享年70)が死去してから、今月15日で丸9年が経った。その仰木監督の下でブレイクして日本球団を代表する選手に成長し、さらにメジャーでも『伝説』になろうとしているイチロー外野手(41)が同氏との思い出を熱く語った。 ◇ ◇ 「監督がダメだっておっしゃってたら、僕、行ってなかったですよ」 そうイチローが振り返るのは、01年のメジャー移籍だ。 神戸にあるいきつけの店「たん平」で弓子夫人も同席して3人で食事したのは00年のシーズン中のことだった。 海外FA権取得は翌年。移籍の道はポスティングシステム(入札制度)しかなかった。すでに球団のフロントにはメジャーの夢を伝えていたが、最終判断をするのは仰木だと考えていた。 「“ダメ元”だったんですよ、実は。ダメって言われると思ってたら『おう、行って来いよ』って。まさかの