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鈴木敏夫に関するneko2boのブックマーク (3)

  • プロデューサーとは決闘する生き物である──スタジオジブリ 鈴木敏夫×クラフター 石井朋彦×クラシコム 青木耕平 鼎談【前編】 – クラシコムジャーナル

    プロデューサーとは決闘する生き物である──スタジオジブリ 鈴木敏夫×クラフター 石井朋彦×クラシコム 青木耕平 鼎談【前編】 鈴木敏夫さんのことを、クラシコムの代表青木は、ずっと追いかけてきました。 仕事で行き詰ると、自宅の近所にあるスタジオジブリの周辺を散歩し、ドキュメンタリー『もののけ姫はこうして生まれた』、映画『夢と狂気の王国』で鈴木敏夫さんが苦悩する姿を観ては自らを鼓舞し、ラジオ番組『ジブリ汗まみれ』のお気に入りの回はもう何十回と繰り返し聴いています。 ある日、そんな代表青木が、鈴木敏夫さんの最新著作『南の国のカンヤダ』を読んだ感想をSNSに投稿しました。このは、鈴木敏夫さんがエレベーターで偶然知り合ったタイ人のシングルマザー、カンヤダさんをめぐるノンフィクション小説です。 すると、代表青木の顔見知りでもあり、かつては鈴木敏夫さんの元で仕事をし、独立された石井朋彦さんの計らいから

    プロデューサーとは決闘する生き物である──スタジオジブリ 鈴木敏夫×クラフター 石井朋彦×クラシコム 青木耕平 鼎談【前編】 – クラシコムジャーナル
  • ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる、鈴木敏夫プロデューサーの50年【上京物語】 - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 佐藤 譲 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回「上京物語」にご登場いただくのは、スタジオジブリ・プロデューサーの鈴木敏夫さんです。高畑勲監督・宮崎駿監督と数々の作品を手掛けてきた鈴木さんは、1948年に名古屋市で生まれ、1967年に慶應義塾大学入学とともに上京しました。東京で暮らし始めて、およそ50年。学生時代は5回以上引越した一方で、結婚後は恵比寿の同じ家に40年以上も住み続けています。 インタビュアーの佐藤譲さんは、鈴木さんのもとで働いていたスタジオジブリ出身の編集者・プロデューサー。鈴木家の別階に住んでいたこともある、鈴木さんを公私ともよく知る方です。

    ジブリの秘密は“4階”にあった――「時間と空間」をめぐる、鈴木敏夫プロデューサーの50年【上京物語】 - SUUMOタウン
    neko2bo
    neko2bo 2018/10/19
    "社会的時間がその個人的時間を搾取するとき、人はストレスを感じる"
  • 「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン

    高畑さんが亡くなり、「お別れの会」を終えたいまも、気持ちが収まる気配がありません。徳間康快や氏家齊一郎さん、あるいは親父やお袋が死んだときも、葬儀を終えてしばらくしたら、心の整理はついたんです。ところが、今回はなかなか落ち着かない。気がつくと、すぐそこに高畑さんがいるんですよ。こんなことは生まれて初めてです。それだけ強烈な人だったということなんでしょうけど、正直なところ困っています。 お別れの会でも話しましたが、高畑さんと僕は最後の最後まで監督とプロデューサーでした。ある種の緊張関係がずっとあったんです。 鈴木敏夫(スタジオジブリ 代表取締役プロデューサー) ◆ ◆ ◆ 最初にじっくり話をしたのは、高畑さんが『じゃりン子チエ』を作っているときでした。当時の僕は『アニメージュ』の編集者。制作会社テレコムがあった高円寺の喫茶店でインタビューすることになりました。席に着くやいなや、高畑さんは先制

    「なぜ高畑勲さんともう映画を作りたくなかったか」――鈴木敏夫が語る高畑勲 #1 | 文春オンライン
    neko2bo
    neko2bo 2018/08/11
    続編や関連含めて読んでるけど狂気の沙汰ですね。化け物達の想い出話しを聞く感じ。
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