2005年4月、総務・人事担当の梶川修専務が、東の拠点である東京製作所(群馬県)の担当に異動となり、現場の人事担当課長・O氏も任を解かれた。同社では、異動はネガティブなものとして捉えられるため「飛ばされた」というのが社内の一般的な見方だ。この異動は、三洋電機の幹部候補生育成システム「次世代経営職採用」の破たんを意味していた。 【Digest】 ◇幹部候補生コースが破たん ◇羨望や妬みの対象に ◇外部の優秀な人間を認めないカルチャー ◇事業部と本社の深い溝 ◇人事の専門家もおらず ◇BUをまたいだ異動すらない ◇概ね低い「J1」の社内的評価 ◇井植家の親族がたくさん入社 ◇不採算部門を切れないオヤジのしがらみ ◇遅れる社内の効率化 ◇サービス残業の強要も ◇「囚人服」ともいわれるユニフォーム ◇「OEM文化」がドライなタテ社会を形成 ◇三洋電機社員の一日 ◇幹部候補生コースが破たん 「採用し