2015年6月9日。 Jリーグの前身である日本サッカーリーグ(JSL)の発足50年記念パーティーで、故郷ドイツに住むデットマール・クラマーからのメッセージが読み上げられていた。 「日本は私にとって第二の母国です。この国が大好きですし、日本の人々も大好きです。この国で出会ったたくさんの親しい友人は、私にとって兄弟のような存在です」 多くのサッカー関係者が背筋を伸ばすようにして聞いていたのがとても、とても印象的だった。 会場に行きたかった、みんなに会いたかった――。 それから3カ月後。母国ドイツに住む彼は90歳で天国に旅立った。 彼は「日本サッカーの父」と呼ばれた。 1960年、日本代表コーチに招聘されると選手たちを基礎から叩きこみ、'64年の東京五輪ではベスト8に導いた。帰国の際にはJSLの創設、コーチ制度の確立など日本サッカーの強化、育成における改革を提言した。 薫陶を受けた教え子たちの活