スーパーで2年間、働いた。 「お金、よろぴく」と言われ、早いリタイヤでのんびり生きていたわたしは目の前が真っ暗になった。 つまり、息子が大学院を選ぶにあたって、道内ではなく道外に決めた瞬間なのである。 同じ旧帝大とはいえ片方の院はトップだ。仕方ない。わたしの母はそれを聞いた時「まぁ…そんな地の果てまで…」と言った。いやいやどちらかと言えば、こっちが地の果てである。 下の息子は仙台の青葉山に建つ大学の学生だったし、二人分の生活費を出す余裕はなかった。 息子によれば、本当は何とかなったのだが、奨学金の申し込みに不備があって、お金が足りなくなる、と言う。 それでわたしは働き出した。本屋か雑貨屋で迷ったが、大好きな雑貨屋さんに決めた…その雑貨屋はスーパーが直営しており、わたしはスーパーの店員になった。 ちょいと話はズレるが、、 下の息子が大学に入学する時、わたしは仙台まで出かけて彼の生活環境を整え
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