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literacyに関するnemotatsuのブックマーク (3)

  • 大澤真幸萌え(おまえ) - アドルノと共に考える――良い文章とは何か

    ■[Y氏への手紙]アドルノと共に考える――良い文章とは何か 19:47 恐らく、文章やブログを書いている人の多くは、大抵は「良い文章」の条件というものを聞いたときに「難しいことを解りやすく書いている」ということを条件に挙げると思う。私達には時間というものが無限大にあるわけではないし、有限の時間の中で何を考えなければいけないのだから、合理的に考えないといけない。「解りやすく」というのは、そのような合理性の産物だ。「難しい」ことには煩わされたくない、あるいは騙されなくない、ということだ。それは確かに正しいかもしれない。 その側面で考えるならば、アドルノという思想家の文章というのは「わかりやすいことを難しく書く」という最悪のパターンのように思われるし、実際最悪だ。どうやら向こうの言葉には「アドルノする」という言葉があるくらいで、要するに多分、彼の文章の異常な難解さを揶揄したものだろう。にも関わら

  • 字を読む力を「自己責任」装置にしないために - 女教師ブログ

    リテラシー 「プチ文盲」という言葉が、あるタイプの人々の特徴を捉えているっぽい。みやきち日記 - ネットリテラシーやメディアリテラシー以前に、「プチ文盲」な人が多くないか*1はてなブックマーク - みやきち日記 - ネットリテラシーやメディアリテラシー以前に、「プチ文盲」な人が多くないか 「プチ文盲」を強引にまとめると...文字の説明書きが読めない。読めても理解できない。それ以前に、読む気自体がない。口頭で説明をされればわかる。むしろ最初から「教えてもらう」気でいるという感じだろうか。 字を読む力(≒リテラシー)を「道具」と捉えてみることにする*2。すると、字を読めない人、読もうとしない人は「努力が足りない」とラベリングできる。そりゃ当然だ。だれでも頑張れば手に入れられる「道具」なんだから、手に入れていない/入れようとしない人は怠け者なのだ――となる。その一方で、識字研究の学者は、読む力を

  • みやきち日記 - ネットリテラシーやメディアリテラシー以前に、「プチ文盲」な人が多くないか

    塾の講師を長年やっていて気づいたのが、文字から情報を取り出して理解することができない子がたくさんいるということ。その能力の低いこと、もはや文盲に近いです。あたしは便宜上こうした子たちを「プチ文盲」*1と呼んでいます。 塾で使うワークブックには、問題だけでなく、「要点のまとめ」や「アドバイス」などのコーナーがあります。そこを見るだけでかんたんに解けてしまう問題も多いです。ところが、「プチ文盲」の生徒たちは、「『要点のまとめ』のここを見て調べながらやってね」と言われてさえもまったく問題が解けません。ちなみにそういう生徒に「まとめ」の部分を音読させてみると、こんな感じ。 生徒「be動詞の疑問文は、be動詞を……ぶ……『ぶんあたま』って何?」 あたし「『ぶんとう』(文頭)」 生徒「……『ぶんとう』に出す。否定文ではbe動詞の後にnotを『よういる』」 あたし「『もちいる』(用いる)」 生徒「……『

    みやきち日記 - ネットリテラシーやメディアリテラシー以前に、「プチ文盲」な人が多くないか
    nemotatsu
    nemotatsu 2006/04/28
    これは今まで読んできた文章の量と関係があるのだろうか?
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