元プロ陸上選手。 1978年広島県生まれ。2001年エドモントン世界選手権で、男子400mハードル日本人初となる銅メダルを獲得。さらに、2005年ヘルシンキ世界選手権でも銅メダルと、トラック種目で初めて日本人が世界大会で2度メダルを獲得するという快挙を達成。オリンピックはシドニー、アテネ、北京の3大会に出場。“侍ハードラー”の異名を持つトップアスリート。男子400mハードルの日本記録保持者でもある(2012年10月現在)。 2012年6月、大阪で行われた日本陸上競技選手権大会を最後に、25年間の現役生活に終止符を打った。Twitterフォロワー13万以上(2012年12月現在)、「知的に語れるアスリート」として、言動にも注目が集まる。 著書は、『走りながら考える』(ダイヤモンド社)、『走る哲学』(扶桑社新書)、『決断という技術』(共著、日本経済新聞出版社)、『日本人の足を速くする』(新潮新
◇夢は一人のものでない ロンドン五輪で引退。もし五輪に出られなければこれで引退−−と決意して挑んだ今月8日の日本選手権の予選。1台目のハードルで僕は足をひっかけ転倒し、敗退した。25年の競技人生はあっけなく幕を閉じた。 あの日、僕は昔のままの感覚で本当に思いきりスピードを出したつもりだった。でも実際はスピードは出ていなかったし、ハードルに足すら届かなかった。スタートからの飛び出しで勝負してきた僕が、それをできなくなったならもう勝負のしようがない。だから、本当に僕の時代が終わったんだなと思ってすごくすっきりした気持ちでレースを終えた。気が済んだというのが今の正直な気持ちだ。 僕には吉沢賢という友達がいる。同じ年で、高校時代から400メートル障害で切磋琢磨(せっさたくま)したライバルでもあった。彼の方がハードルを始めるのは早く、僕が後から入り込んでいった。18歳から28歳までいろんな試合で戦っ
東日本大震災がきっかけとなり、多くの人が改めて自分自身の役割を見直した。大学を休学してボランティアに専念する学生や、卒業後に被災地へ移住する学生も現れた。陸上選手としての人生を歩んできた為末大選手に、自分で決めた道を生きるとは何かを聞いた。(聞き手・オルタナS副編集長=池田真隆、オルタナS特派員=板里彩乃、伊藤明日斗) ——為末さんはアテネ、北京と二度のオリンピックや世界陸上など大きな大会に何度も出られました。国際大会では尋常ではないプレッシャーが掛かると思います。プレッシャーを克服する方法があれば教えてください。 為末:プレッシャーが掛かったら、自分が何に恐れているのかをしっかりと把握することが大切です。厳密に言うと、緊張やプレッシャーははねのけられるものではありません。まずは何が原因でそのようなプレッシャーを感じているのかをしっかりと把握します。 ほとんどの場合、プレッシャーの原
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