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インタビューと男女に関するnicoyouのブックマーク (2)

  • 30年前『いいとも』で初バラエティ “非難の嵐”でも田嶋陽子がテレビに出続けてきた理由 | 文春オンライン

    ◆◆◆ 1990年、初めて『いいとも』に出た日 ―― 先生がテレビでご活躍されるのは、お母さまと和解した後なんですね。きっかけは、1990年7月、『笑っていいとも!』の1コーナー「花婿アカデミー」。 田嶋 そのころ、一般男性を対象にした「花婿学校」というのがあって、雑誌や新聞で評判になってたんですよ。校長が樋口恵子さん、副校長が斎藤茂男さんで、私も講師をしてました。『笑っていいとも』のスタッフがそれに目をつけて、私が出ることになった。忙しくてテレビを見てなかったから、『笑っていいとも』を知りませんでした。それで、初めて出た日、私のコーナーがずっと続いて、他にあった3つのコーナーを全部飛ばしたんです。 ―― よっぽど盛り上がったんですね。 田嶋 盛り上がったもヘチマもない(笑)。私がすごく真面目に話そうとしたら、みんなで邪魔してくるんです。なんて失礼なんだと思いましたよ。頭にきて、目の前にあ

    30年前『いいとも』で初バラエティ “非難の嵐”でも田嶋陽子がテレビに出続けてきた理由 | 文春オンライン
  • 「母にいじめられたことが原点」田嶋陽子78歳が明かす“私がフェミニストになった日” | 文春オンライン

    「私は、母にいじめられたんですよ」 ―― 世間の田嶋先生へのイメージは「怒れるフェミニスト」ですが、実はとても明るい方なんじゃないかと思ってるんです。 田嶋 さっきもタクシーに乗ったら、「意外におとなしいですね」だって。みんなさ、私がいつも暴れてると思ってるの。タクシーの中で暴れるわけないよね(笑)。 ―― それだけテレビの印象が強烈なんですね。そう思わせるテレビの「演出」についても伺いたいのですが、まずは田嶋先生のフェミニズムの原点について、お聞かせください。 田嶋 私は、母にいじめられたんですよ。母は戦後すぐ、脊椎カリエスという病気にかかって、長く生きられないと思ってたみたい。自分が死んだら、私が一人になってしまう。だから、私が早く自立できるように、非常に厳しくしつけられました。小学校から帰ると、母が寝たきりで身動きできないから、私はベッドの隣に座って勉強しなきゃいけないのね。教科書が

    「母にいじめられたことが原点」田嶋陽子78歳が明かす“私がフェミニストになった日” | 文春オンライン
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