「何か未知の世界すぎて、放っておくと恐怖心が生まれるみたいな。怖いかも、みたいな感じ」 小泉今日子さん、58歳。 アイドル・歌手・女優・文筆家であり、「中年期(=ミッドライフ)」を生きるひとりの女性として、50代を迎えたときの気持ちを、こう答えました。 小泉さんはこれまで、人生の折り返しの年齢を迎えたときに抱える悩みや心の不調に直面する人たちに寄り添い、ラジオや雑誌の連載などで発信してきました。自らの思いや体験を語りました。
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元アイドルであり、現在はライターや作家として精力的に活動する大木亜希子さん。2018年の5月、会社員だった大木さんは会社に行けなくなり、やむなく休職。みかねた姉からの提案で、独り暮らしをする56歳の男性サラリーマン・ササポンさんとの一つ屋根の下での“共同生活”がはじまった。 その様子とエピソードを綴った『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』(祥伝社)が大ヒット。過度に干渉しないササポンさんとの時間によって大木さんが自分を取り戻す日々は多くの共感を呼び、この7月には『つんドル!~人生に詰んだ元アイドルの事情~』としてコミックにもなった。 一方で、その生活は当初からササポンさんが定年退職するまでという「期間限定」のものだった。そうして訪れた、ササポンハウスでの最後の日――。 「それでは、ササポンこの辺で」 全ての荷物を積み終えると、私は作業を手伝ってくれた彼に礼を言っ
つんく♂が「なんか持ってるヤツ」と語った辻 1987年東京で生まれ、辻希美は、2000年に12歳でモーニング娘。のオーディションに合格した。同期は石川梨華、吉澤ひとみ、加護亜依。追加メンバーは3名のみの予定だったが、プロデューサーつんく♂氏の判断で、辻も追加合格となった。のちにつんく♂氏は『月刊BARKS』のインタビューで「なんか持ってるヤツというのはキランとするはずなんです。放っといても」と、辻の存在感を評している。 普通の小学6年生が、一夜にして国民的アイドルの一員になった。辻は学校に通いながら、モーニング娘。の活動に明け暮れる。 「アイドルに憧れたのは、小学校4年生ぐらい。SPEEDが好きで、家では新聞紙とラムネの容器でマイクをつくって歌ってました」 2000年5月、モーニング娘。9枚目のシングル『ハッピーサマーウェディング』でCDデビューを果たしたのち、身長150㎝以下のメンバーで
わが人生、モーニング娘。と共にあり 私は20年来のモーニング娘。ファンだ。 人生の3分の2を、モーニング娘。と共に歩んでいる。モーニング娘。が結成されたのは1997年。彼女たちがブレイクするきっかけとなったオーディション番組『ASAYAN』を、小学生だった私は食い入るように見ていた。当時のメンバーは自分より少し年上。色っぽく歌う姿に魅了されていた。 金髪で加入してきた後藤真希さんには度肝を抜かれたし、2001年にはついに自分と同い年の高橋愛さんが加入し「愛ちゃんが頑張っているので観なきゃ!」という感覚が芽生えた。もともとは「何者」でもなかった普通の女の子たちが猛レッスンで努力し、アイドルスターとして輝いていく姿に心を打たれ、気がつけば涙していた。 社会人となった今も、私は変わらずモーニング娘。を追い続けている。 モーニング娘。’19を擁するハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)は、容赦なく
こんにちは、喜屋武ちあきです。 私は今回、16年間一度も公表したことがない、芸能界に入った本当の理由について書こうと思います。 なぜ書こうと思ったのかっていうと、まずは自分の中でずっと整理がついていなかった母親との関係に決着をつけるため。 それから、自分が本当にやりたいことはなんなのかなってずっと悩んでいて、自分を振り返ることで、そういった気持ちにも気づけるんじゃないかな、と思ったからです。 長くはなりますが、よかったらぜひ読んでください。 2018年末、一つやり残したことがあり、実家のある埼玉に行ってきました。 目的は、母親のお墓参りに行くこと。 母が亡くなってから丸16年。 墓参りはおろか、法事にも一度も参加してきませんでした。20代のころは仕事も忙しくて時間が取れなかったし、東京から1時間程度とはいえ実家に行くこと自体が年に1、2回だったから。 ……というのは言い訳で、本当は母親の話
2017年、11月某日。 得意先に向かう途中、私は突然、足が動かなくなった。 「動かない」というのは、比喩ではない。文字通り、足が一歩も前に進まない状態になったのだ。 日比谷駅で。 肉離れをしたわけでもなく、脚の神経が故障したわけでもない。 ただ、PC上で強制終了が選択されたように、「歩くのやーめた」という号令が脳に降り、それきり司令塔は機能しなくなった。 その数分前まで自分を苦しめていた「彼氏が欲しい」「給料上がれ」といった煩悩のダムは、静かに決壊した。 かすかに電車がやってくる音がして、「黄色い線の内側をお歩き下さい」という駅員の怒号が飛ぶ。 ギリギリのところで車両はかわしたが、はたして悟る。 「これはきっと、しばらく何をしても動かねぇな」 予想は的中した。 その後も数十分間、靴の裏が地面に接着剤で固定されてしまったような状態が続く。 狭いホームで、通勤バッグを抱えたアラサー女が一時停
ロリータシンガーソングライターを称する有坂愛海が、亡くなったファンのための追悼ライブを開催すると発表した。 有坂は20日に「ファンを亡くした気持ち」とのタイトルでブログを更新し、追悼ライブ開催に至るまでの経緯と心情を綴った。ファンの間で「おっきゃん」の愛称で知られていた55歳の男性は、10年間ほとんど全てのライブに来場していた。しかし、昨年に大動脈乖離の手術を受けることになり入院。その後、SNSの更新は止まり、ライブにも訪れなくなっていた。 心配していた有坂は、事務所に所属しておらず、迷惑をかけるメンバーもいないことから、このファンの会いに行くことを決意。住所や電話番号、メールアドレスなどの連絡先は知らなかったが、本名を頼りに自宅を突き止めて訪問。その際、近所の住人から、退院後の昨年8月29日に自宅で亡くなったと聞いたという。 ファンには家族がなく、葬式も行わなれなかったと知った有坂は、「
「ももち」こと嗣永桃子(25)が6月30日、東京・青海の野外特設会場で、ラストライブを開催した。アイドル生活15周年の記念日でもあるこの日をもって、芸能界を引退した。ハロプロキッズ(現ハロプロ研修生)、Berryz工房、カントリー・ガールズと、これまで各グループに所属した日数は計5479日。スキャンダル一切なしでアイドル道を貫いた「アイドル期間最長」のレジェンドが、活動にピリオドを打った。 アンコールでのあいさつ全文は以下の通り。 2002年6月30日にハロプロキッズに入ってから今日で15年。本日をもちまして、アイドルを卒業します。 今日は、6月。梅雨の時期というのに、こうやって、こんなにもたくさんの方が会場に集まってきてくれて、本当にうれしく思います。ありがとうございます! そして、全国のライブビューイングで見てくださっている方。ニコニコ生放送で見てくれている方。今日は残念ながら都合が合
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