昨年末に慰安婦問題の解決について合意した日韓両国外相は共同記者発表で「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」と述べた。日本軍の慰安婦となった女性らが戦時中、慰安所で送った生活については、終戦直後の戦犯裁判資料や1990年代以降に口を開いた元慰安婦らの証言に残され、場所や時期、戦況によってさまざまだったとみられる。ただ、その境遇や移動経路が、本人の証言をもとに軍の記録や関係者の日記、現地調査などで詳細に追跡できる例はそれほど多くない。今回はその一例として、韓国の文玉珠(ムンオクチュ)さん(1924~96)が語った部隊名や地名を手がかりに、多くの日本兵らが犠牲となったかつての激戦地ミャンマー(ビルマ)を訪ね、足跡をたどった。 ■ビルマ戦線を転々、証言と記録一致 朝鮮半島南部・大邱(テグ)出身の文さんは、日本が英領ビルマを占領した直後の1942年から45年までの約3年間を過ごした。体験を聞き
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