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^内田樹流行に関するnisemono_sanのブックマーク (2)

  • 数学屋のメガネ:「不快という貨幣」(内田樹)を論理的に理解する - livedoor Blog(ブログ)

    内田さんの「2006年02月23日 不快という貨幣」がいろいろなところで評判になっているという。批判もかなりあるようだ。内田さんは、一般に流通している観念に対してアンチテーゼとなるような主張をするので、その反対性から反発されることが多い。つまり、結果としての主張を見て、結果が自分の思いと違うというところから来る反感からの反発だ。 しかし、それがどれほど自分の思いに反していようとも、論理的に真っ当な結論であれば、それは受け入れざるを得ないというのが、論理にこだわってきた人間の思いでもある。内田さんに対する反発が、誤読という誤解に基づくものなのか、論理的に反対されても仕方がないものなのか、どちらであるかを考えてみたいと思う。 野矢茂樹さんから学んだ論理トレーニングの応用としても、ちょうどいい対象ではないかとも思うので、いろいろと論議を呼んでいるこのエントリーを、論理的に正しく理解するということ

  • 数学屋のメガネ:内田さんのスタンスと矛盾を考える - livedoor Blog(ブログ)

    sivadさんからもらったコメントの中に、「内田さんは分析の中にある方向性への誘導を忍ばせている」という指摘があった。僕は、この指摘自体は、それだけで何か善悪の判断とでもいう価値判断を考えることは出来ないと思っている。 ある分析を行うというのは、僕の場合などは、論理的に正しいという方向性をもった分析をしたいと思っている。だから、僕の分析の中に論理的に正しいという「方向性への誘導を忍ばせている」と読んでくれる人がいたら、むしろ僕はありがたいとさえ思うだろう。 もし、この「方向性への誘導を忍ばせている」ということが批判されるとしたら、それが現体制を維持し、自分たちだけの利益を守ろうとして、かえって社会がよい方へ向かうのを阻害する方向に人々を誘導している、というような面がある時だろう。「誘導している」というだけでは、それがどのような誘導かは分からないので、それに対して価値判断は出来ない。 「20

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