内田さんの「2006年02月23日 不快という貨幣」がいろいろなところで評判になっているという。批判もかなりあるようだ。内田さんは、一般に流通している観念に対してアンチテーゼとなるような主張をするので、その反対性から反発されることが多い。つまり、結果としての主張を見て、結果が自分の思いと違うというところから来る反感からの反発だ。 しかし、それがどれほど自分の思いに反していようとも、論理的に真っ当な結論であれば、それは受け入れざるを得ないというのが、論理にこだわってきた人間の思いでもある。内田さんに対する反発が、誤読という誤解に基づくものなのか、論理的に反対されても仕方がないものなのか、どちらであるかを考えてみたいと思う。 野矢茂樹さんから学んだ論理トレーニングの応用としても、ちょうどいい対象ではないかとも思うので、いろいろと論議を呼んでいるこのエントリーを、論理的に正しく理解するということ