マッカーサーと天皇の関係を示す今ひとつの重要な問題として、敗戦後の天皇裕仁の退位をめぐる問題がある。ダワーは、この問題についても、辛辣な筆致で当時の状況を描いている。 「もし占領当局が裕仁の退位を促す方針をとっていたなら、それを妨げるような障害は何も存在しなかったことは明らかである。そのことは天皇側近にもわかっていた。それがどんなに悲しいことでも、人々は敗戦を受け入れた時と同じように、あっさりと天皇退位の発表を受け入れたであろう。(下巻67頁)。 「A級戦犯への裁判が正式に始まる46年3月18日から4月8日まで、天皇は自らの統治下における主要な政策決定について、側近たちに合計8時間もの「独白」を行った。この回想は、天皇の戦争責任をけっして認めていなかった」(下巻71頁)。 「1948年、東京裁判の判決がまもなく言い渡される頃、天皇の道義的責任の問題にふたたび火がついた。・・・しかし天皇は、