【小林至教授のよくわかる「パ高セ低」(4)】 何か新しいことをしようとすると、抵抗勢力は必ず現れるものだ。日本球界初の3軍創設に奔走していた当時の私にとって、それは現場と本社だった。 現場は「小林が現場に介入しようとしている」「球団と現場が一体となった育成システムなんて言っても、要するに言うことを聞かせたいだけだろう」「コーチやスタッフが選手よりもフロントの顔色をうかがうようになる」などと反発。本社からの出向組はそもそも、雇われの身である私のお目付け役という役割がある。好むと好まざると、小林の動向に常に批判的な視線を向けて、業務をチェックするのが彼らの役割だ。 ましてや、3軍制は前例のない取り組みである。内部の強い抵抗を受けながらも、2010年春から夏という非常に短い期間に創設、予算、人事まで大枠を固め、実施に向けて動くことができたのは、王貞治球団会長の存在に他ならない。 「君がやりたいよ
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