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文化に関するnnhのブックマーク (4)

  • 『エスカレーター 右?左?』

    東京(左)vs 大阪(右) 古くから世界的な論争になっていることに エスカレーターで左右どちら側に立つか?というテーマがあります。 急ぎの人が歩いて進めるように、 エスカレーターの一方向を空けるというこの慣習は、 エスカレーター・エチケット(Escalateor Etiquette)と呼ばれています。 世界的には、右に立って左を歩くという "Stand on the Right, Walk on the Left"が主流のようです。 私が調べた限り、 ロンドン・パリ・アムステルダム・マドリッド・モスクワ・ トロント・ボストン・ニューヨーク・ワシントン・香港・台北・ソウル などでは、右立左歩が実践されているようです。 それに対して、 シンガポール・オーストラリア・ニュージーランド・ドイツ などの国では、左に立って右を歩く左立右歩が実践されているようです。 一般に、各国の高速道路に着目すると、

    『エスカレーター 右?左?』
  • ヴァルプルギスの夜 - Wikipedia

    この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。 出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方) 出典検索?: "ヴァルプルギスの夜" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL (2013年4月) ヴァルプルギスの夜に焚かれるかがり火(スウェーデン) ヴァルプルギスの夜を祝う群衆(ドイツ・ハイデルベルク) ヴァルプルギスの夜(ヴァルプルギスのよる、独: Walpurgisnacht[1])は4月30日か5月1日に中欧や北欧で広く行われる行事である。ワルプルギスの夜とも表記される。 ヴァルプルギスという名称は、聖ヴァルプルギスの夜の省略形で、8世紀のフランク王国の女子修道院長の名に由来し、祝いは4月30日の夜から5月1日に続く。この祝日は聖ワルプ

    ヴァルプルギスの夜 - Wikipedia
    nnh
    nnh 2011/04/29
    「ヴァルプルギスの夜に触発された文化」のリストの最後の行ェ……
  • 日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏

    最近、ちまちまとラヴクラフト全集を再読しているのですが、あらためて強く意識させられるのが、恐怖感についての日米文化の違いです。たとえばラブクラフトがさも自明のごとく使う「冒涜的」という表現の、いったい何がどう冒涜的なのか、まるでぴんとこないこと。また、クトゥルーや南極の〈古きもの〉がさほど怖いとも思えず、それどころか、むしろちょっとかわいいじゃん。などと愛着に近い感情すらおぼえてしまったりすること。こういった反応、恐怖の感じ方がひどく違うことについて、どこまでが個人の感性でどこまでが文化の差異によるものか、きちんと切り分けができたら面白かろうなあ、と思いながら読んでいます。 ラブクラフト作品での「冒涜的」という形容は、宗教上の教義と相容れないものごとだけでなく、普通でない、なじみがない、理解できない、ありえない、と語り手が感じる対象ことごとくに向かってつかわれます。キリスト教文化圏では、何

    日本人はなぜクトゥルーを怖がらないのか : 族長の初夏
  • 京都人の「ぶぶ漬けでも食べていきなはれ」は悪意なし? 「帰れ」の意味ではない

    京都の人の家にお邪魔した時にぶぶ漬け(お茶漬け)を薦められたら「これったらとっとと帰れ」の意味だと今まで思っていたのですが、どうもちょっと意味が違うようです。 ブログ『山あり谷ありダイアリ~』に新潮文庫『イケズの構造』のレビューが書かれているのですが、これによるとぶぶ漬けを出す意味は「帰れ」ではなく「もうお昼時ですよ」というのを相手に伝えるためで、悪意はないそうです。 ようするに「お昼時なのでまた今度来てね」が、いつの間にか「これったらとっとと帰れ」の意味で地方に流れて来ているわけです。まあ面白い意味の方が伝わりやすいですからね。 そう考えるとゲームリパブリックの岡吉起さんが任天堂に行った時にぶぶ漬けを出されたのは、また違った別の意味が含まれていたのかなあとも思ったり。岡吉起さん、どこ行ってもうたんや……。

    京都人の「ぶぶ漬けでも食べていきなはれ」は悪意なし? 「帰れ」の意味ではない
    nnh
    nnh 2011/02/27
    ほう
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