つまるところ、その崇高さとは一切関係なく、道徳も、科学的な世界観も、与える愛も、おとぎ話の一種にすぎない。 それらは、神話や宗教のように「子供だまし」のおとぎ話ではないかもしれないが、「大人だまし」のおとぎ話にすぎない。 そして、一切のおとぎ話をはぎ取ると、「無気力回路」や「絶望回路」が作動を開始する。 そのことを、本能的に知っている「賢い」人々は、おとぎ話を受け入れて生きる。 この意味で、科学的な世界観を受け入れる人も、社会的・道徳的な生き方を受け入れる人も、愛する人やもののために生きる博愛主義者も、UFOに乗った宇宙人に永遠の命を与えられたと信じる人も、狂信的なカルトを信じる人も、本質的な違いはない。 そして、一切のおとぎ話をはぎ取った後に現れた「自分」という存在自体もまた、「おとぎ話」にすぎない。 たとえば、「死を恐怖する自分」という存在は、一つのソフトウェアシステムに過ぎない。 ほ